火曜日, 8月 02, 2016

海外でも読まれている!?グーグルブログ



というサイトがある。御嶽山の山頂で登山客が噴煙などに巻き込まれ死亡した事件があったが、その数日前から拝見してすぐに読者になった。今回ここで取り上げたのは都知事選開票直後の彼女のブログに小生同様、ブログ管理者しかわからない事実を公表された点で、今回が初めてではなく。過去2〜3回表示されている。

小生もこれと同じサイトで2007年に開始したので過去に何回か上と同じような情報を何度も見てきたが、この女性のように公開したことはなかった。

ただこのブログは
にあるように、日本政府による!?(らしい)検閲により、ある日突然彼女のブログが消えてしまい、たしか3日もしないうちに同じ題名(宇宙への旅立ち)で再開した。これには大変びっくりした。消される前の2年半以上およそ数百編は読んでいたが1/3位は知ってはいたが、後はどれも新知識だった。

ただ、日本の一番醜い日などはここまで天皇の事を書いてしまって大丈夫!?と思う事がしばしば。そうしたら、案の上、ある日とつぜん消されてしまった。

以下は消される前の記事の一部である。
引用始まり
http://reptillianisreal.blogspot.jp/2014./01/blog-post_4217.htmlより



『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を推す(1/3)

「田中角栄をどうしても逮捕して欲しい。彼は私のファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけた。私は彼を赦せないのだ。」
 
この発言は昭和天皇であった。
 
田中角栄が首相を辞任して、これからロッキード事件が本格化する前、昭和天皇は三木武夫首相を呼びつけてこう言ったのだ。


 三木武夫は「どうすればいいでしょうか」と天皇に尋ねると、天皇は「フォード大統領に私の親書を渡してほしい。そして、『よろしく頼む』と伝えてほしい」と答えた。

こうして角栄を失脚させるためにロッキード事件が起こされるのである。

 このエピソードは鬼塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』(成甲書房)にあったものだ。つまり、ロッキード事件はヒロヒトが角栄を追い落とすために仕掛けたのである。

  「アマゾンの内容紹介」を以下に引用して概略を示す。

    *      *

 現代史の闇―その原点は、「てんのうはん」の誕生にある。「てんのうはん」とは、長州(現・山口県)で天皇のことをいう。長州の多くの人々は「てんのうはん」が山口県熊毛郡田布施町からの出自を持つことを知っている。この秘密を守るために「田布施システム」が創り出された。瀬島龍三は、この田布施システムの秘密を守るための「守り人」としてその一生を終えたのである。また、田布施システムは明治維新以来、「てんのうはん」の守り人として、ヤクザ組織を大事に育ててきた。瀬島龍三と宅見勝が日本列島暗黒街道の中で出会い、そして交友関係を続けるのは決して偶然ではなかったのである。

 瀬島龍三と宅見勝が日本列島暗黒街道の中で出会い、そして交友関係を続けるのは決して偶然ではなかったのである。大本営元参謀と山口組若頭の黒い関係、日本最大最悪の闇田布施システムの秘密を解き明かす。

   *       *

 「てんのうはん」とは、長州の田布施部落から引っ張りだされて偽の「明治天皇」にされた大室寅之祐を指す。

 ヒロヒトが田中角栄から天皇ファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけられたという、その中身はわからないが、おそらくはこの明治天皇のすり替え、もしくはヒロヒトが大正天皇の実子ではないことのいずれかであろう。

 万世一系はもはや破られたのであるから…。

 ヒロヒトは敗戦後国民をあざむくために、政治には直接関与せず、下々の内奏を唯々諾々と形ばかり承認するだけという「神話」を流布させた。またマッカーサーを表敬訪問して自分はどうなってもいいから国民を助けてくれと言ったとされるが、それも真っ赤な偽りである。戦前も戦後も、ヒロヒトは国家元首として、また大元帥として君臨し、権力をふるったのである。


この「田布施システム」から出てきた総理が、現在の安部首相だ!彼も山口県の田布施部落の出身だ。

「田布施システム」は「爬虫類システム」と言っていいだろう。』引用終わり

こんな事は自分で調べても多分分からなかった事だろう。今でも彼女の言説は半信半疑な部分も多い。たとえば、スキーバスツアー客が下のカーブでスピード制御ができずガードレールを突き破って、かなりの若者が死傷した事故(事件)があったが、かの女はアメリカに在住しているせいか、爬虫類人組織が捏造した嘘ニュースなどと断定する。

かってはサルーサからのテレパシーを感じたというアメリカ在住のおばさんは、元創価学会にも属した事があったそうで、3.11の大地震については、学会幹部女性から3日前までに知らされ、人工地震であったと知っていたという。

彼女は今でもオバマ大統領が光の銀河連邦の支援を受けているらしいと信じているようだが、私は最近懐疑的である。 ただ、都知事戦についおてはほぼ同意見のようなので、その点では見解は一致している。

さて、小生のブログについて見ると、

以前(一年以上前)は、読者はヨーロッパ(特にフランス)に多く、日本人読者に続いていたが、最近は読者が急にロシアに集中している。
最近はロシア関係の記事もほとんどなく、どうしてこんなにロシアの読者が多いのかは、何かのまちがいではないかとさえ思うが、理由はわからない。

これまで取り上げたのは杉原千畝、ノモンハン事件、南京事件、などにかかわる国内外の反応などであるが、自己検索で内容を見ると宮崎正弘氏の転載記事でもけっこう杉原千畝関連記事があったりする。

今、スタンフォード大教授の西鋭夫教授の最近の著作一式を改めて購入し、明治維新以降の語られなかった日本の外交史の概略を学習中である。

どこでどう調べたのか知らないが、小生宛に坂本龍馬の活動に金を出していたのはだれ!?といったジャンルメールが届くようになり、あるとき、今なら送料500円ほどで、本を送るというふれこみで、新説・明治維新なる本がダイレクト出版社から送ってきた。

それを読むと肝心の事がぼかして書いてあり、讀語録などを求められたが、今一物足りないんのでさらに知りたくなり、気がついてもつかなくても著者の現代までの全シリーズの本を定価の半額で購入した。

今はちょうど真珠湾攻撃前後のあたりで、日米の暗号戦(といえるかどうか)の暗号解読文書が国立公文書館で公開されており、米軍側は開戦の一年以上前から日本外務省の暗号(パープル)の解読に成功しており、日本側からなんとかフィリピンなり真珠湾に先制攻撃してもらわないと、アメリカ側はルーズベルトの誓約どおり、米側からイギリス援助のための参戦は公約違反となりできないので、ハル文書などで、日本側を怒らせ、先に日本からの先制攻撃をしかけてもらわなければどうにも打つ手がない状態であった。

だから、ハワイのキンメル提督にも情報を隠し、忍び寄る日本艦隊を発見しても絶対に手をださないように厳命してあったのだ。

チャーチルは真珠湾攻撃の一報を聞き、我勝てりと小踊りしたそうだ。

だから後ろから撃ったなど、だまし討ちなどの汚名は根拠がないのだが、アメリカは有頂天にズウズウシクも主張して、日本による中国参入を遅らされた鬱憤を晴らそうともしたのだが、いまや日米は同盟関係にあり、米・中は東シナ海を介して対立関係にある。

ルーズベルトの母方の父親はデラノ家といって、中国でのアヘン売買で資産をなした数少ない米国の家系。しかし、第二次大戦末には、ダラスなどの勢力によって、暗殺され、トルーマンに置き換えられた。

日本を手玉に取ったが、自己の近未来は予測もつかなかった。これは
、マッカーサーにもいえる。

ところで、知事選の時期だったので、歴史の再勉強はちょっと中断した。開票びに偶然見たふるやの森でこんな記事を見つけた。
今夜の8時には開票速報が出るはずの日だったので、この書き込みをみてビックリした。
すっかり信じていて、元外務省OBの情報力を通り越して米の情報力の凄さを感じた。

そして8時ちょうどに小池ゆり子当確が出て、事前の情報どおり事が運び、やきもきした気持ちから解放されてしばらく中断していたネット検索を始めた途端、おや!?とおもう記事に出会った。


これである。もともと孫先という方は9条の会の会員かなにかで、小生の趣味ではないし、まして恨み骨髄の外務省出である。戦後、杉原を訪ねてきたきたイスラエルの関係者に杉原なんて知らないと知ってて嘘をついた外務省である。

今日になって、ダイレクト出版から全て購入済みだったが、さらにボーナス版として、乃木将軍の記事が届いた。前出の山下将軍の画像なども随時表示されてきてサービスが続いている。


これは今日届いたボーナス版の記事の一部である。私は子供のころ、美智子妃が皇太子に嫁ぐころ家に留守番で来てもらっていたおばあさんから、乃木将軍ご夫妻が、大喪の礼のとき、静子夫人と一緒に自刃されたという話を聞いた。

おそらく少女時代に(戦前)に乃木諸軍が栃木の田舎かどこかで、農作業をしていた跡地なども見学していたのであろう、残された鎌の柄などは握る部分が磨り減って細くなっていた、などと話してくれた。


これは日露戦争の最大の激戦となった203高地攻略戦で、落とすのには西洋の歩兵の常識では3年はかかるといわれていたのを4ヶ月で落とし、降伏したステッセル将軍を水師営で乃木将軍が帯剣を許し、かっての旧友のように会食をし、互いの労を慮り対等の立場で遇し、歴史的な会見をしたのだが、そこでステッセル将軍は彼の愛馬を乃木将軍に差し出す。乃木将軍は戦場では受け取れないとし、講和後に送られた馬を受け取りそれを飼っていた厩舎をProf.Nishiが訪れた際の写真をしめしている。

この馬は贈られてから20数年以上生きたというから、大事にされて幸運だったのだろう。

いずれ、天皇がマッカーサーと戦後初めて会見した時の様子を述べる機会があるかもしれないが、天皇裕仁は、祖父(明治天皇)の遺訓を受け、学習院の校長を務めた乃木将軍を「院長閣下」と日頃よんでおり、院長閣下から、学習院まで徒歩で来い!と言われて以来ずっと徒歩通学をされたらしい。

司馬遼太郎は、乃木将軍を無能呼ばわりしたしたそうだが、西教授は決してそうではなく、3年はかかるといわれた塹壕戦を4ヶ月で平定し、戦死者数は多かったが、将兵は乃木に心酔していて皆乃木の腕に抱かれて死にたいと本気で思わせる風格があったと述べている。シベリア鉄道が完成寸前であり、それ以上ロシア軍が持ちこたえれば日本は後がなく必ず負けた戦いであったという観点からみれば、すごいことである。

なお、多くの通信社員たちのほかにマッカーサー父子も観戦武官としてこの戦いに参加していたのだが、戦後日本にきたマッカーサーはアメリカの技術をしても破れなかった日本陸軍の暗号解読ができず、フィリッピンからオーストラリアへ逃げ出したりを余儀なくさせられた日本陸軍を目の敵にしていた節がうかがえる。

ついでにいうと、日本に好意的に講和條約をまとめてくれたアメリカの




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