金曜日, 5月 15, 2015

俄勉強ーーハーレーの歴史ー大急ぎで探索 修正や追補あり、適宜更新




本来、shoさんと同じCB1000所有ということでshoさんブログに対応する形でこの年輪ブログを2007年ごろ始め今日に至るが、過去のバイク画像を振り返ったら、CB系はもちろん多いが、ハーレーもけっこう多いことがわかった。

今回ハーレーについてはほとんど何も知らないので予備知識としてネットで調べだしたが、過去折にふれて掲載していたことは心のどこかであこがれではないが惹かれていたのかもしれないと思う。BMWもあるにはあるが最近ビューエルを一ヶ月体験したので、2気筒はこのワンクランク、2コンロッドでシリンダ配置に他のV型のようなオフセットがない独特の形式、内燃機関が廃止されるまでつづくであろうエンジンということに初めて納得が行った。

街中聞こえるハーレーサウンドを耳にすると納車の日が待ち遠しい。
ハーレーの歴史についてもいろいろなサイトがあるらしいが、今はこのサイトで情報情報収集中である。
それによると1965にパンヘッドの最終モデルとしてセルモーター付きのFLHBが日本車への対抗として発売されたという。それを読んで、どこかの役所にたぶんその当時のハーレーが寄贈されていたなあと思いだし、探したものがこれ。画像をクリックすれば拡大されるが、圧縮されて保存されているので、細かい文字などは不鮮明である。今でも置かれているかどうかは最近担当エリアが変ってしまって調査に行かないので不明。毛呂山町の庁舎にあったものだ。土日閉庁の流れが定着しているので、平日に訪れる機会がないとなかなか訪れるチャンスがない。

これも仕事で行った先で見かけたスポーツスター。理容店関係で、ハーレーに限らずZIIとか置いてある店が増えだしたころのショット。娘がスポーツスターの1200を883に変え、カスタム処理をして結局1000キロぐらいで40万で売却してしまった後の前だか後だかは不明。

sho さんから不要となったからと贈られた雑誌の裏表紙(CB1000特集誌)。赤のハーレーは戦後のイメージで見ていたが、サイドバルブのフラットヘッドエンジンである。細かな年式は不明だが、VLという1200ccで1930年から1940年まで生産されて日本の陸軍が採用し陸王のベース車両ともなったという。戦前の東京や大阪は、戦後の27年頃になってやっと戦前のレベルに至ったというから何時頃かは不明。
雑誌を贈ってくれたsho さんに敬意を表して、以前の愛車をチラリ。
これは140号沿いの天然氷でのかき氷を食したときの駐車場での一枚。手前は883かもしれないが、タンクのガソリンコックがないことから燃料噴射式エボリューションモデルで2007年式かもしれない。
ハーレーの最初は単気筒エンジンであったらしいが、他メーカーとの排気量アップ競争で、販売不振を心配したハーレー氏とダビッドソン3兄弟は対策をねったらしい。
http://motor.geocities.jp/buell_xb12s_2004/3_macheine/3_06/3_06_engine_piston.html
これはビューエル用の解説になっているから、図示されている爆発間隔は不均等だが、説名文にあるのとはちがい、前シリンダーの点火の後すぐに後シリンダーは点火せず一周弱遅れて点火するように描かれている。説明文によれば、排気量アップに後ろにもシリンダーをV45度に配置した際、一個のクランクに2個のコンロッドをつなげればクランクケースを再設計することなく、性能アップがはかれる、とはハーレー氏の発案らしいがこのコンロッドが思わぬスポーツエンジンとしての効果をもたらす事になるとはハーレー氏もダビッドソン3兄弟も思いもよらなかっただろうとある。

ピストンの上死点が微妙にずれることとなり、ドッ!ドッ!(グルングルン)ドッ!ドッ!(グルングルン)…………というハーレー独特の「3拍子」が生まれることとなった、という。

ビューエルの図では前が燃焼(上死点で計算)したあと、約510度ほど遅れて後ろが燃焼、そのあと前が燃焼するまでに 810度ほどグルングルンが続くことになる。
 

私は基本的に単気筒エンジンで前が燃焼すると直ぐに後ろが燃焼して後はそれぞれ720°遅れで再燃焼と単純に想像していたが、本当のところは乗ってみて、聞いてみて、いろいろと調べて見なくてはと思っている。

で、肝心の2気筒モデルの出現は、上記によると1915年、11馬力の3速ギアがセットされたモデル11Fということになっている。今年でちょうど100年あまり、創立以来110あまりとなる。
ハーレーのDYNA系モデル。後方がおそらく2010年のFXDWG、手前が2009年のFXDか!?。どちらも排気量は1584cc。TWIN CAM 96。年式が新しいほうが値段が高い。

ハーレーのツーリングモデル。いままで、毛嫌いしてきたジャンルだが、乗り心地は良さそうである。
最新とはいかないまでもすべてが現代版となっている。シートをみると古いが年式は???。
小鹿野町でわらじカツを食べに行ったとき、食事を終わって出たら店の前に
停車していた。ということは途中から入店してきたあの二人だな、と思ったが



上記サイトの種々の写真から推定すると、BuellXB12Sxらしい。左側排気管が後方にのびている。XB9Sでは、左ステップの後ろに足を置いて停車すると。排ガスが左足首にあたって、気持ちのいいものではなかった。


リアディスクのマスタシリンダーの位置からすると1999年以降のスポーツスターのXL1200のようだ。キャブ式、リジッドマウント、タンク容量12.5L。

1968年公開の映画『あの胸にもう一度』のDVD版の画像。マリアンヌ・フェイスフル (出演), アラン・ドロン (出演), ジャック・カーディフ (監督, 脚本)  マリアンヌ・フェイスフルが乗って最後には事故死する映画で使われたのが、おそらく1965年のパンヘッドのハーレー。回想シーン中で時速200キロは出たわ、などの思いが語られたが、当時実測で達成可能だったのかどうか!?当時のマイル仕様のスピードメーターは120マイルが上限。下り坂なら時速200キロ前後は可能だったことになる。なお、このDVD解説書によると
最高出力60馬力、最高速度180Km/Hをマークする。ガソリンタンク容量容量14.2リットル、タイヤは500ー16インチ、と書かれている。デグライド型といわれるものだとの但し書き付き。
発表は968年10月でイージー・ライダーより1年ほど前となる。


花園インター近くの吉野家パーキングで見かけた2009年式XR1200X。燃料タンクは13.25と少々変則。これ以降、燃料タンク容量はモデルによって小刻みに変化する傾向あり。フロントフォークもBuellタイプの形式のようだ。バイク屋さんもこの型のハーレーがカスタムにも適しかっこいいんですよね〜との事。


このサイトは写真で見るハーレーの歴史が真正面に出てきて楽しい。
ハーレーの代名詞となったVツインエンジンは1907年には誕生していて、1909年には排気量810cc、7.2馬力となり、誕生からわずか4年ほどで、2気筒ではあるものの、排気量は約2倍で出力は2.4倍を達成している。ということは、初代のシリンダーをもう一つ付け足したら、出力はシリンダーを付け加えた以上の効果があった、と言えるのかもしれない。独断と偏見で、V型エンジンの粘りの素を見るような気がする。そして1909年には量産体制が整い、チェーンドライブ駆動が主流となりつつあったこの時代に、ハーレーだけがベルドドライブ駆動を導入。現代のハーレーの代名詞ともいうべきものが揃った、というから意外や意外、原点ののあたりからベルトドライブだったどは!!!。


ではライト兄弟がフライヤー1に搭載したエンジンは12馬力だったというから、(もっともこちらは水冷直4で、排気量4000ccだそうだ)ハーレーのエンジン出力は当時としては侮れない。(ライト兄弟の初飛行もハーレー社創業と同じ1903年という)。

そして1909年には量産体制が整い、というV型のエンジンは、いかにも航空機の星型配列の空冷エンジンの一部であるかのように見えてしかたがない。
 

では1912年には7馬力のハイパワーとなり1914年には国の郵便車として採用となり4800台以上のハーレーが郵政省に採用、郵便局員がハーレーに乗ってやってくる、というのはなかなか想像が難しいかも!?というような記述が見える。


では、1907年にはハーレーの会社躍進の年とかで、会社設立と株式上場とで会社の拡大はつづき、150台のモデル3を組み立て可能とした、とあり単気筒、440cc、ベルトの材質に皮を使用したベルトモデルでスリップしやすかった、などと記載されています。

こちらの記述では1915Model 11Fが11馬力と2段変速機を備えV2の写真で登場している。サイトにより、記述の要点が異なり、ハーレー社の初期の歴史は容易には掴み難い。

時間があれば、アメリカの工場見学への誘いが載っていて、行った人たちは大部分が行って良かったという感想をもつようだ。私もスピードラーニングで、耳を訓練して、できれば一度でもいいから訪れたい、と思うがまずは届くのが先決で、それからだ〜、それからで希望が湧き上がる。


では、ハーレー10の楽しみとして10項目細あげているが、ハーレーの公式サイトで紹介していることとは
ハーレーに乗ることは日常が冒険に変わる、新しき旅の始まりとうたっているそうである。


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