木曜日, 4月 17, 2014

連鎖調和への考察

いままた、保江博士の「予定調和から連鎖調和へ」を最初から丁寧に読みだしている。
そして、ちょうどアマゾンから博士の関連本をまとめて紹介したメールが届いたので、前の二冊中に出てきた愛の宇宙方程式という本を注文してしまった。(合気を追い求めてきた物理学者のたどりついた世界)というサブタイトルがついている。
まだ、本当に氏の体験された世界が分かったようでわかっていない、感が強く、昨年12月23日以降、世界が変わったことを実感し、特にルルド(Lourdes)旅行以後それを強く感じ、最近では若返りも日々感じているというので、何がそうなのかを追求する価値は、宇宙からのメッセージばかり読んでいては気づかないこともあるだろうし?、今回もいい加減だと思っていたらやはりドタキャンだったし、保江博士もいい加減で適当なほうが神様がよってくるなどといわば世間常識に反するようなことを平気でおっしゃったりしているのを見るとマイペースで行きましょうか?という気にもなってくる。

この本(前回でのB)のまえがきが「新しい慈眼世界に入った」で、なんと22ページも有りさらに章立てまである。

<みんなもかわらなければ>

では、僕の人生が新しい次元に入ったと気づいたのは去年の12月23日だった。

この新しい世界に入って半年ぐらいして気づいたことがある。ここは今まで知らない世界ではなかった。目の前に現れたのは、以前の世界にいた時の僕が自分の心の中で思い描いていたものだった。

そこで僕はもともと物理学者だから、ちょっとした仮設を立てて見た。
今いるこの新しい次元の中で起きていることは、前の次元の保江邦夫の心の中が実現している世界だとする。では、この新しい世界の中で生きている保江邦夫の今回の心の中、僕がいま夢想する世界は、たぶん次の次元の中でのタネになっているのではないかと。

今の世界から一歩先の次の世界に行くと願望実現はさらに加速するのではないか。

世界が次々と段階的重層的に重なっていて、次元が上がるごとに願望実現が加速する。そういうリーマン面のような構造になっているのではないかと。

<神様の予定調和ではなく、人間の手による連鎖調和>

いや、そうではない。大事なことは、この宇宙には連鎖があるということだ。
・・・
新しくなったこの世界は昔の世界で生きていた僕が夢想していた世界だった。

僕自身が生きるこの世界はそれまでの単なる外的背景を形作る無機的な三次元空間ではなく日々、いや瞬間、瞬間その存在形態変化を多様かつ有機的に変化させ、この僕の愚かなでも神意の一端に気づくことができるよう育むための、母なる子宮へと変貌したかのようだ。
それが僕以外のすべての人たちをも巻き込むようになったのが2012年12月22日であり、今後数年でその変化が完了してしまう。

そのために僕ができることといえば、2012年12月22日からの半年の間にいったいどんな事が僕自身の周囲に起き、その結果どのようなことに気づいていったかのかをありのまま包み隠さずにお伝えするしかない。
・・・
そうして世界のあちこちに連座調和のネットワークがはりめぐされていくのだと思う。
この本を世に問うた理由は、まさにここにある。

でまえがきがおわる。

ここで、何というタイミングか!愛の宇宙方程式が届いた。

その終わりのほうに
人間=ヒト+ = 凝り固まった + 拡張と収縮を繰り返す
という式が出ている。

しかもこの本には矢作直樹氏のまえがきつきである。

Bのまえがきに挿入されている博士の
『背後にある神の予定調和とか目に見えない蜘蛛の糸とかネットワークが見えない糸を動かして事態はなんとかなる。それがわかった。』とあるのは、私は、アカシックレコードに書き加えられ、すべての人類に伝えられるようになるのでは思った。
昨年8月に、アカシックレコードには未来の記録もあるというメッセージを受け取り、周囲に遠視や未来視ができた人を聞いて知っていたので、超不思議としてメモしていたのだが、あたっているだろうか。
http://yhsvtex.blogspot.jp/2013/09/blog-post_4421.html

アメリカでは、各人のアカシックレコードを読むことが、商業ベースにもなっているらしい。シェルダン情報にもアカシックレコードを読むことへの言及がある。博士のいう次元と前世療法で出てきた『命には終わりがない。そして人は決して死なないのだ。終わりというものはない。人間はたくさんの次元を持っている。時間というものは、人が認識しているようなものではない。』などにあるような精霊の言葉でいう次元とどうかかわるのだろうか。
矢作直樹東大教授の関連ではこんな記事も
  まず象徴的な事例として、ある日救急に運び込まれたAさん(若い女性)のケースがスライドとともに紹介される。彼女は自宅マンションの10階から飛び降り た。下はコンクリート。ふつうは助からないのだが、体じゅうの骨(首を除く)が折れ、内臓も多少壊れることで、衝突のエネルギーが分散され、一命を取りと めた。 元気になったAさんが当時のことをふり返る。じつは飛び降りる1週間くらい前から亡くなった人の声が聞こえたと言う。その声は「体を貸してくれ!」と言っている。Aさんは「やだ!」と拒否したが、声は執拗だったらしい。 一緒に暮らしていたダンナさんに様子を訊くと、Aさんは突如人が変わったように本人が知っているはずのないことをまったく違う話しぶりで語ったと答えた。そして注意していたにもかかわらず、ちょっと目を離した隙に飛び降りてしまったと。  似たような話を僕はこれまでにもいろいろなところで聞いてきた。いや、単に聞いただけでなく、撮影現場で女の子をトランスに入れれば、Aさんのように訳の わからないことを別人の声でしゃべり出し、暴れたり、自らの首を絞めたりする子たちと接してきた。だから、Aさんの事例自体に新鮮さは感じない。新鮮だっ たのは、東大救急部部長が、たとえば幻聴という脳内現象としてではなく、「これは霊の憑依だ」という前提、つまり霊障(れいしょう)として話を展開したこ とである。

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