日曜日, 5月 06, 2012

昨日駐輪したバイクの後方が平成22年に開館した予科練平和記念館。休日で好天だったせいか、昼前はそれほど人出は多くなかったが午後からは駐車場はほぼ満杯。グループで各展示質を案内され迫力のある記録映画などの鑑賞をしていた。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1498.html
私はたまたま江戸時代の和算家、関孝和を扱っていることから『ねずきちのひとりごと 』を見て偶然この地の存在を知らされた。それで、行くならコーズ付近だし訪ねてみる事にした。

午後、展示室を出る事には多くの観光客が集団でガイドの説明を聞いていた。私が入った頃は、自由に参観出来て、映画の紹介以外は説明は無かった。しかし、多く訪れると会場の人の流れを合理的にさばく必要から、手際良く説明し映画を見せて行かないと収拾がつかなくなるおそれがあるからだろう。

私が天井に吊るされた赤とんぼの模型を見たりしながら、昭和20年6月10日にここ予科練のある阿見町は大空襲を受けたが、壁一杯に米軍が作成した作戦文書のテキストが 表示されていて、あのテキストは何だろうと入った時から思っていたが、3時間ほどあちこち周りようやくあとはこれしかないと見入っていたとき、後ろでガイドさんが、こんな赤とんぼのような非力な飛行機も特攻に参加し、それでも二機が体当たりしたそうです、などと説明していた。帰ってあらためて上記ブログで確認するとおススメ記事の中に(7段目あたり)赤とんぼの戦いという記事もすでにアップされていた。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-964.html
これは予科練平和記念館の正面に向かって左側からの写真で、自衛隊武器学校内にある平和記念館の別館である、雄翔園の見学を終えて駐車場に戻る観光客をバックに撮影した。

そういえば、ガイドさんは赤とんぼの塗色の色の変遷も説明していた。所沢市役所も航空博物館があり、そのせいか一時ファルマン機の模型が庁舎内広間の天井に吊るされていた時期があったが、それを思い出した。できれば、実物の1/4スケールとか表示されていればなお良かったかもしれない。説明ではあったかもしれないが、‥。

館内は撮影禁止ということで、それを知らないで一枚撮ってしまったが発表しない。予科練の沿革を述べたレリーフを撮った文章である。

海軍飛行予科練習生およびその制度をいうらしく、当時の海軍が昭和5年に横須賀に海軍飛行予科演習性の制度を設け、昭和14年に霞ヶ浦海軍航空隊基地があった関係だからか阿見町に移転した。‥昭和18年頃から予科練習生は大量に採用され、全国19カ所で教育が行われるまで拡大したなどとあり、終戦までの15年間で24万人が入隊、うち約2万4千名が参戦し、8割近くが戦死されたと聞く。うち特攻での戦死はおよそ3千名という。前述の写真を振り返るとすぐ目につくのがこの雄翔館の案内標識。隣は自衛隊敷地内であるが今は陸自の施設?のようでその中に併設されている。観光客数をカウンターでチェックする隊員が一人たまたま退園時にはいたが、陸自の迷彩服を身につけてヘルメットも付けていた。

  
雄翔館内には戦死した軍人の遺品が多い。例えば、南方の島に墜落した零戦の(金属製)プロペラの羽一枚を許可を得て切り落とし日本に持ち帰って展示したりもしているが、遺書などが多い。田中内閣時に、大西中将に与えた勲一等の賞状などもある。大西夫人は受けられたそうだが、これを受ける真の立場は戦死者たちにある、というような意味で没後生前の遺志で寄付されたような事が記されていた。

また、中でも
 の肖像などもあった。米国防総省にも展示されている、という。『最強撃墜王』零戦トップエース西沢広義の生涯  武田信行著、 光人社、前書7ページ、2004年

特攻の産みの親は大西中将であるが、最初の特攻は関大尉の神風特攻隊(しんぷう)となっているが、部下3名は皆ここの予科練を出た搭乗員であった、という。その戦果を見届けるため周回したパイロットに西沢がいて、彼もここの卒業である(出身は長野県)、という。ただ、今では、その戦果に疑問はなくとも、どの機がどれに命中したかなど、かなり諸説があるようである。

敷地内に記念碑があり、頭を下げている方達も見受けられた。またこの周りはこじんまりとした庭園にもなっていて、癒しの空間でもあるようである。
5月の陽光をあびて風にそよぐ草の動きを見て、ここかしこに英霊達の霊がまとわりついて
いるように感じられてならなかった。その一方で、ここは自衛隊武器学校の施設内でもある。
少し離れたところへは行けないようになってはいるがこんな武器類も置かれている。かなりの台数があるようである。
 入り口付近にあった町案内図。最寄り駅は荒川沖駅。ここでの常磐線は国道6号にほぼ平行である。昭和20年6月10日の大空襲で阿見町民、軍人、予科錬生など約380名が亡くなったという。
館内での映画は、特攻のほかに(これは短い)この土浦海軍航空隊と阿見町が被った被害体験の各証言や、天井から降る爆弾映像や目の前の耕地に次々と着弾する爆弾の爆発などが三次元音響とともにリアルに再現されたりしている。軍都として発展したが故の悲劇を
正確に後世に伝えるための 施設という。
http://www.youtube.com/watch?v=-HZNWtNxxWI&feature=related

最後に信時潔作曲による鎮魂頌を
http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/showa.html#11.%E9%8E%AE%E9%AD%82%E9%A0%8C







 

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