木曜日, 5月 26, 2011


先週の金曜日の晩か土曜日の早朝にようやく、数式処理ソフトMathematica8.0のHE版をダウンロードしつづけてインストールした。

その後、すぐにiPhoneのフランス語学習アプリをインストールしたがほとんど聞く暇もなく寝た。翌日、現場でバイト氏にも聞いてもらったりしたが、仏語というだけあって、聞いているだけでなんとなく楽しい。あらためて、仏語のしゃべりができないものの、生来嫌いではないということがわかった。

会社では昼間も聞いているが、この時間帯、何日かずっとFrance Culture、et tout s'éclaireという紫色のアイコン番組で、原爆被害者たちに登場してもらい彼らの肉声と同時通訳をかねて放送する番組が組まれている。初めて聞いたときは、日本では聞いた事のないような恐ろしい内容を、女性が喋っていたし、たまたまこれを書きかけたところで聞いたらピカドンという言葉をなぜ自分は使わなくなったか、というようなことを喋っていた。途中で英語でも応えたりしていたが、フラッシュを焚くのとはちがうんですというようなことだった。最初
ピカッと光り、暫くしてドーンと音が響くという事でピカドンと思っていたが、被爆者たちはピカッと光った途端に即死したり、失神したり‥というような事実を知ってから、その言葉をとても使えなくなってしまった、というようなことを言っていた。そしてまもなく番組は終了。この番組では、終了前に登場人物名を羅列することをすでに知っていたので、この男性は
どんな人かと注意していたら、東松照明氏(とうまつしょうめい)と聞こえた。写真雑誌などで、プロカメラマンとしてはかねてより存じ上げていたが、ひがしまつだと思っていたので、確認したらやはり「とうまつ」だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/東松照明
その中に
『1961年 - 土門拳らと広島、長崎の被爆者、被爆遺構などを取材、『hiroshima-nagasaki document 1961』(第5回日本写真批評家協会作家賞)を刊行』などという項目もあったから、まず間違いない、と思われる。

おそろしい内容の話しというのは、たまたま同僚とすき屋へ誘われて行った帰りに席で続きを聞こうとスイッチをいれたら、日本語と仏語がだぶって流れていて、故障!?混信かなどと思って一旦切ってしまい、もういちどど選んだら、日本人の喋りを仏語訳で流していると知り
聞いてしまった。被爆者の妹さんの思い出を語っているところで、お姉さんが被爆して上半身火傷で、痛い、痛いと泣いている。そこは一時的な避難所となった場所らしく、着のみ着のままなので、家へ身の回りのものを取りに、そのお姉さんか母親とその妹さんが家まで荷物を取りに戻った。道には黒くなった遺体がいくつもあった、という。ところが途中、顔も真っ黒になった人がひとり道の外れにたっていて、通り過ぎる時だれかも識別不能だし、怖いので、遠巻きにして通り過ぎようとしたら、真っ黒なだれかわからない人が、〜さん、と自分らの名前を呼んだという。しかし、とにかく怖いので逃げるようにして家へ帰り、荷物を持ってまた元来た道を通った。しかし、その立っていた黒い顔の人はすでになく、近くの学校の校庭で黒い遺体を集めて燃やしていたというもので、後でせめてだれか名前だけでも、あるいは最後の言葉だけでも聞いておけば良かったのにと大変後悔した、というような内容だった。 合掌。
原爆投下を決定したのはトルーマン大統領だったが、彼は闇の勢力だと書かれている。
http://www।atlanteanconspiracy.com/

さて、途中で意図せざる方向へと流れてしまった。

日本が戦争に負けた時、志賀直哉氏かだれかが、日本語をフランス語にしたら、という意見があった、という。

念のため、探したら、
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3185465.html
に、
『志賀直哉が論文「国語問題」(日本語は乱れている、フランス語に直した方がいいという内容)をどうして書いたのか、志賀直哉の作品(特に『和解』)での敬語表現の使い方を見ながら考えていますが、日本語のどういうところを乱れていると感じたのか、ピンときません。

志賀直哉は、上下関係も抑えた完璧な敬語を登場人物に話させています。敬語に気を使っていたからこそ、その不安定さと、フランス語の安定を感じたと思うのですが・・・。

意見を聞かせていただけると、とても助かります。

質問番号:3185465』
という質問があって、それに対してのベストアンサー20ptという回答例が載っている。

また、
http://ja.wikipedia.org/wiki/志賀直哉
には、
『戦後間もなくの時期、公用語を「論理的な言語」としてフランス語にすべきとの主張をしたことがある。しかし志賀自身はフランス語はまったく解することが出来なかった。』とある。

それで、ベストアンサー氏の立場が、さらに後の梅棹忠夫氏の主張とも一致してくるが案外正解なのでは、と思われる。しかし、日本語も本来非論理的な言葉ではなく、日本人が論理的に使用しようとしないのである、という意見もあり神奈川大学長である(った!?)桜井邦朋博士は、『科学英語論文を書く前に』という著作の中で、一生英語を勉強しようと呼びかけている。

久しぶりにMathematicaを使い始めて、改めてこんな記号だけで、世の中の一部が表現されうるプログラミング言語の構造にある種の畏敬の念を覚えたことは確かである。

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