日曜日, 5月 22, 2011

ドミニックの曲に慣れて来て、英語とは単語の多くは共通要素が多いものの、ラテン語の長女といわれるフランス語について、もう少し親しく接したいと思うようになった。


それで、iPhoneでも、とうぜんフランス語学習ソフトなりラジオ番組なりが利用できる筈、と思い検索し無料アプリ2本と有料アプリ1本をダウンロードした。この際、再発行番号のカードとなって再入力を求められ少々あわてたが、もう一度入力をと言っているうちにダウンロードが始まった。最初の4桁の三組がドットだけで表示され残りの4組目だけ変えただけではだめなようで、全ての番号を入力しなおした。もちろん三桁の裏面記載の番号も。


上から二段目の三個のアイコンがそれである。
最初にいれたのは無料のラジオ番組用であり、とにかく至る所でフランス語の会話や音楽、ニュース等、いろいろと聞く事ができる。夜中にダウンロードしたときはうるさく感じたが、
翌日昼間に野外の仕事中、つけっぱなしにして聞いていたら、英語よりはよほどはっきり各単語が聞き取れることにビックリした。もちろん30年以上前に学習していらい、たまにしか辞書なども引かない生活だったので、意味不明の単語は英語よりははるかに多いが、識別しやすいのにはビックリした。

バイト氏も、よく聞こえますね〜、あ〜まちがいなくフランス語だ!と言っていた。彼によると、ロマンス語の中ではフランス語が一番難しく(学習面で)、スペイン語はやさしいので、
通訳も沢山いて、したがって通訳単価はフランス語に比べて安いのだそうである。それで、彼もスペイン語は適当に齧ったらしいが、フランス語は学習していない、と言っていた。


この無料ソフトでラジオフランスの各番組が聞ける。どこも自国の言葉の普及には政府が責任をもってあたっているのだろう。とりあえず、今はつけっぱなしで聞いている。VOA番組はどこかに行ってしまった感がある。バイト氏も、英語はね〜、と聞いただけではわかりづらい面があると言っていた。

佐貫亦男先生の『発想のモザイク』中央公論社、自然選書、1972年(技術開発の民族風土)には、56Pに発想のメディアとして、氏の英語感が書かれている。東京に遊学中、熱心に読んだ本である。
http://www.amazon.co.jp/発想のモザイク―技術開発の民族風土-自然選書-佐貫-亦男/dp/4120004740
中古品4冊、650円とある。私が買った時は680円だった。
『われわれ日本人は一体何年間英語を習っているのであろうか。古い世代で旧制中学五年プラス旧制高校三年、すなわち合計八年、新しい世代で中学三年プラス高校三年プラス大学教養二年、すなわちやはり合計八年である。これだけ学習しても、実用的な意味でさえ用をなさぬことは、われわれ自身の経験するところである。その理由のなかで大きい要因は英語の綴りの不規則と発音のきまぐれにある。』と述べておられる。

‥‥
『ほんとうの標準英語は、学寮制学校(boarding school)に少年少女の時からはいって身につけなければだめだと言っている(Daniel Jonesの発音辞典の著者、ジョーンズ氏)。通学制学校(day school)では、学校から帰った時に地方のアクセントを聞くので乱れるというのである。』とある。それで、戦後東北電力の会長も経験した白州次郎氏が、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長の時に、米軍将校の話す米語に対して、君の話す英語は理解できるとかなんとか言ったというような新聞広告を最近目にしたが、そういうことなんですね。

『それほどやかましい英語だから、通学制どころではない外国の日本で覚えようとすることが、そもそも無理である。』と言い切っておられる。なんの因果でこんな英語に10年近い年フ月を投じたのかと悔やむ、とも述べておられる。

‥‥

さて、フランス語については佐貫先生はどう見ておられるだろうか!?。

『フランス語の会話を聞くたびに、これほど美しい言語があろうかと思う。ことに円熟した女性が使っているとき思わず聞きほれる。よくぞフランス人に生まれたと自らも誇り、相手もそれを容認する。なだらかながら、健康な心電図のような脈動があり、それが心を躍らせる。私は若い時に本格的に勉強しておけばよかったと、パリで後悔する。』とある。だよね〜。ちょっと褒め過ぎの感も今はあるけれど。

ところが、美しいバラにはトゲがあるという諺の通り、たとえ発音を別にしても文法に大難関がある、とのべておられる。『辞書にはおもな不規則動詞として挙げてあるものは約100個あるが、その半分を記憶するとしても、上記の型45個を乗じると約2000個になる。としている。(時称と叙法の変化は15個あり、それに人称単複を区別すると87形(命令法は3形)となる』としている。

バイト氏も動詞の活用のあたりで挫折済みだそうである。
スペイン語はやさしいから少しはできるようなことを言っていた。

うちの先生は、ポーランド語やロシア語などもやっておられたが、私はドイツ語、英語のほかに先生の専門の北欧語も文献が読める程度にはやらねばならず、年中語学書とつきあっていたし、家内がイランに行きたいなどというので、ペルシア語教室へ通ったり、アラビア語にも興味を示したりと、専門科目はさしおいて、丸善通いの日々という時もあったが、どれもものになっていない。

しかし、数カ国語をひととおり齧ると、何となく印欧語の共通骨格めいたものを感じたりした時があったが、それももう昔で忘れてしまった。


生活のために民間に就職してから、ようやくロシア語の文献もなんとか自力で読めるようになり、苦労して数本読み取った。ところが発表のとき、引用文献にキリル文字で原文タイトルを並べたら、すべて英語表記を要求されガッカリした。

この頃、独学で母とふたり暮らしの若い男性が、ギリシア語辞典(和文表示)を完成させるべく奮闘しているという新聞記事を見た事があったが、その後うまく完成したのかどうか、気をもんだ記憶も蘇った。

あとのふたつもラジオ番組であるが、おもに曲が中信で、特に二番目は各国語の放送を聞く事ができるが、自分の好みを探すだけでかなり大変である。

若い時、入院生活を体験しこのとき、三修社の仏和辞典を枕元に起き、50ページほど一ページ目から読みだしたり、ノートに書き出したりした。この時の短いながら充実した体験が後々まで響いているように思う。したがって、英語は付け焼き刃、泥縄式で、英作文も英借文で済ませている。
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