土曜日, 6月 06, 2009



作家の猫・・・平凡社刊、2006年6月。発行者下中直人。ここに取り上げるまで、「作家と猫」という題だと信じこんでいた。いざ、表紙をコピーして初めて『作家の猫』だと・・・・。やはり目が眩んでいたのかも。

三月ほど前に、仕事の途中で立ち寄った書店で、出会った。書棚の彼方から、猫招きされるように誘導されたかのような感慨がある。よくぞ出会えたり。裏表紙の火鉢で前脚の暖をとる猫がいいし、表紙の中島ラモの猫も、家の猫とうり二つだ。ざっとみて喜び、じっくり見て、やけに泣ける本である。猫好きを自認するものの、作家たちの猫との諸関係を知らされ、猫好きの点では、完敗の思いだ。

取り上げられた作家は、28人だが、巻末に猫の名作文学館と称する、猫を取り上げた作品解説が芥川から、吉之淳之介まで、41作家の作品が紹介されている。芥川でさえ、猫小説を書いているとは、意外だった。

作家の猫との情景を、身内のものとか、知り合いの作家たちが、回想するエッセイがなかなかいい。漱石の猫以外、猫の名前がいろいろと出てくる。しかし、猫の人生も、人間同様、いくら可愛がられはしても、なかなか幸せとはいかないところが、人間同様、生物としての運命の気まぐれさを感じさせる。

夏目漱石と「吾輩」 明治の文豪は日本で初めて知性をもった猫を描いた

南方熊楠とチョボ六 明治の大奇人、猫を相手に暮らす

コレットとキキ 猫を綴り、猫のように愛され、猫より猫らしく生きた

寺田寅彦 大の猫ぎらいが猫好きに変貌、大発見を次々と

・・・  ・・・




作家と猫との出会いで、画家藤田と、南方熊樟は、二人とも偶然に猫に出会い、飼うようになる。藤田の場合は、盛り場からの返り、夜の石畳でふと足にからみつくネコがいて、不憫に思って家に連れ帰り、飼うようになったのがきっかけ。やがて、それが2匹、3匹と増え、モデルがいないときに、ネコを相手に絵を描き出した、という。

「猫の本」講談社から平成15年に発行され、約90点の猫の絵が纏められている。藤田画伯の猫については、当然ながら、知り合いの画廊の娘のほうが、私よりは詳しい。

作家というより、在野の学者であった南方は、19歳で渡米し、イギリスも含めて14年間も遊学。大英博物館で、ケンカをした話だなどを読んだ記憶があるが、粘菌関連は、専門がちがい残寝ながら存じ上げない。しかし、生き方の迫力には、若いときから
うらやましく思っている。

彼の場合は、渡米後3年ほどして、ミシガン州アナバという小市の郊外3、4マイルもも離れた森林で採集中、大吹雪となり、走って森を抜けて帰路に付く途中、生後一ヶ月ほどのコネコが道を失い南方と一緒に走るのを見て、上着のポケットに入れて連れ帰ったという。このコネコは、彼に出会わなかったら、どうなっていたのだろう!?迷い猫か、捨て猫なのか、おそらく後者だったのかもしれない。

南方は、生涯で多くの猫を飼ったらしいが、みな、この最初のネコと同じ、チョボ六で通したという。最初のネコとの出会い直前に、郷里からの妹さんの訃報に接していて、もし、このコネコが、妹の転生であったら、棄つるに忍びずと・・・書かれているそうである。

貧乏暮らしで、服なども質にいれてしまうので、裸で暮らすことも多く、猫は夜具がわりでもあったときもあったというから、徹底振りが念にいっている。

漫画家水木しげる氏は、『猫熊』で、猫熊という猫は実在しなかったのであるが、彼の猫との共生生活を描き、研究に名を借りた学問の遊び人だな、と言わしめているそうである。機会があれば、見てみたい。

猫の餌代も事欠いた南方は、カントの食事風に、一人分の食事をよく噛んで、養分を飲み込み、中途半端な肉切れなどをネコに与えて、両方とも一人分ですましていたといい、漫画でもそのことがえがかれている、という。晩婚の南方の縁結びにも、何代目かのチョボ六が、一役かっているという。ネコさながらの自由気ままにみえる、彼の楽音領域の広がりが、彼の真骨頂だという指摘は、ネコの視点を通すと、不思議ではないような気がする。

折りに触れて、各作家のネコへの、並々ならぬ愛情を見ると、どうしても涙があふれてしまう。ネコ好きの人は、一人で見る本である。

裏表紙の犀星の飼った火鉢にあたるジイノというネコ、犀星はお客が来ると自慢したそうである。ちょっと背をおしてもっと暖かくとせっかいをやいたら、そのまま、このスタイルをとるようになり、ペットの終えットのこの姿勢で眠ることさえあったという。しかし、このネコはさかりの時期に突然いなくなり、飼い主の胸をひどく傷ませた、という。

ネコ好きの作家の家には、よく捨て猫がおかれることがあちこちで多発しているようだ。生涯で500匹ほど飼ったという大佛次郎氏は、あまりにネコが捨てられるので、時にはステッキをもって、門の見張りもしなくてはならないときもあったとか。

大佛氏が、長い廊下に新聞紙をひき、皿を一列にたくさん置いて、各ネコたちがいっせいに食事中の風景を、そばからうれしそうにしゃがんで眺める氏の笑顔が、何にもまして、この方のネコ好きが現れた一枚だと、感心する。懐もあるていど余裕がないと、そこまで踏み切れまい。

もし、死ぬ前にいくらか時間があるなら生涯のネコたちを一匹、一匹回想しながら死にたい、とまで言わせた方である。ネコ好きの域を超越したネコ好きだとおもうが、どうだろうか?

前回の渡部昇一氏の『知的生活の方法』には、ペットの効用などという視点はないが、知的生活につきまといがちな、精神的不安定をさける必要性を説いている部分がある。コウスティングというそうであるが、バイクで言うなら、惰力走行、航空機でいうなら、グライダー的な飛び方を指す言葉で、知的努力を続けていると、それから解放されることが是非とも必要だと言う指摘は鋭い、と思う。漱石の「先生」の自殺などを取り上げて多方面から解説してる。

谷崎などは、絶対に、執筆の際にはその部屋にはネコはいれなかったというが、書斎をでれば、ネコに癒しを求めていたようだ。

もっとも、魯迅などはネコ嫌いをはっきり記録し、多くのネコを殺した、という。殺さないまでも、半死半生の目にあわせた。
これも可愛さあまって、憎さ百倍の田堵のように、作家の知的活動と関連があるのかもしれない。普通の人は、病気でなければそこまではしないように思っているのであるが、・・。


なかのひと

0 件のコメント: