土曜日, 2月 21, 2009

坂井三郎氏関連本とともに、半年ほど見失っていた昭和史の謎を追う副島隆彦氏の「仕組まれた昭和史」も偶然出てきた。坂井氏の気迫は凄いの一言であるが、坂井氏は海軍上層部への歯に衣を着せぬ批判もすごかったらしい。下々の中から坂井氏のような人が健気に戦った、というのに、一部の海軍上層部が米国の傀儡であった、という指摘は、どうも私には真実のような気がしてならない。

『仕組まれた昭和史』関連の事項は、ネットで簡単に見つかるので、皆さんもご覧になっては如何が!?

一例として以下のサイトをご紹介させていただく。ここでは無難にざっと本の内容を箇条書きに要約してくれているが、『「昭和史」にもいろんな考え方があり、どれが真実なのかよくわかりません。
この本では、世界史の一部である昭和史をロスチャイルド財閥 vs. ロックフェラー財閥の視点で描いています。
確かにわかりやすい理解の仕方ではあります。』とだけ筆者のコメントがあるだけである。
http://mindmapping-doctor.blogspot.com/2008/08/blog-post_7235.html

私は、昔から陸軍と海軍が仲が悪いと言うことは聞いていた。ある大学の先生は、戦争中南方のゴム園を視察した際、陸海軍が敵同士のように仲が悪いのにびっくりした、と書かれていた。ゴム園視察中、銃弾さえ飛んできた、という。

時間を置いて、もう一度副島氏の説を振り返ってみると、ハワイ攻撃に参加した源田実あたりまでが、怪しいという指摘を副島氏がしている。ハワイ攻撃直前は、海軍航空隊をもり立てたようだが、最初は、日本のパイロット養成に、源田氏はむしろ反対していた、という指摘を坂井自身だったかどうかは忘れたが、その関連本かなにかで見た。当時は非常に奇異に感じた指摘だが、もしそうならありえよう。特攻攻撃の産みの親である自決した大西中将などは違うかもしれないが、海自の海将経験者でさえ、戦時中の海軍が陸軍に多大の迷惑をかけていた点を指摘している。

これまで、いろいろな戦記を読むにつけ、どうも海軍はその持てる機動部隊の戦力をどう考えても有効に使わなかったような印象を、素人ながら感じていた。もし、海軍の上層部が米国の傀儡なら、戦う振りをしていただけ、ということだから私は、副島氏の指摘がたいへん気になる。副島氏の指摘を得る直前に、海軍の上のほうは怪しい、と外務省の拙劣な外交姿勢を新聞などで読むにつけ、感じていた。それで、指摘をうけてすぐに、宣戦布告文書の手交遅れも、偶然を装った意図的な米国への追随ではあるまいか、と思った。しかも、戦後も責任を問われずに、事務次官まで出世している。

硫黄島の戦いのときに、牛島大将は、海軍部隊に対して陸軍の指示があるまで要塞砲を使わないよう指示していたが、米軍上陸前に勝手に沖合の艦艇に向けて発射してしまい、位置を悟られ砲身が曲がってしまうほど、叩かれて攻撃不能にしてしまった、という。米軍が上陸を済ませた後に使えば、かなり有効な打撃を敵に与えられたはずのものを。

今は捜し出せないが、かって深田祐介氏が指摘した、駆逐艦、巡洋艦レベルの夜戦で、米軍を完璧にやっつけてしまった2隻の艦長は、その戦いの後、なんと予備役に編入されてしまった、という。外国の教科書にも、模範例として載るほどの戦いぶりだった、とも。これを読んだときも何か、海軍(当時は海軍と決まっておらず、いわゆる日本のある種の悪しき伝統か?)のやる気の問題につきあたったような気がしたものである。

小学校の頃の漫画雑誌などに載っていた山本五十六元帥の美談的記事に洗脳されていたせいか、漠然と信頼感のようなものを持ってしまっていたが、小室直樹氏が、艦隊決戦思想と、艦隊保全思想のどちらも日本にとって大事なので、勇敢に戦えなかったのだ、という指摘でそんなものかと思っていた。

後は、アメリカは、潜水艦を有効に使ったのに、日本の優秀なはずの潜水艦隊の活躍は、殆ど知らされていない。ということは実際、活躍しなかったのだろう。テニアン基地に原爆を運んだ米巡洋艦を伊号潜水艦がサメのいる海域で沈めたことぐらいしか知らない。この潜水艦は、戦後米軍に探し出され、洋上で見せしめ的に公開爆破で沈没させられている。NHKだったと思うが、その映像をわざわざ元艦長に見せて、元艦長が肩を震わせる映像を流していた。

「海軍の失敗」という本がある。是本信義氏が光人社からだされた本である。
そこに、第3章の(7)に、雲泥の差ーーーー潜水艦の特性をどう生かすかが明暗をわけた。
とある。私も昔から知っている歌で、轟沈、轟沈凱歌があがる、・・・という下りがあるが、いまも海上自衛隊潜水艦部隊では愛唱されているそうである。

そこでは、この歌詞とはうらはらに、日本海軍の潜水艦活動は惨憺たるものであった、と書かれている。それはいつに日本海軍は、潜水艦の用法を誤ったからである、と書かれている。

『すなわち日本海軍は、潜水艦の特性であるその隠密性を生かした海上交通路の破壊と言う機能には一切目もくれなかった。そして、唯一の兵術思想である「艦隊決戦」の有力な一翼とのみ考えていた。』と書かれている。そうか、ノモンハンの時、もし日本の爆撃機が、シベリア鉄道を1ヶ所でも破壊していれば、ソ連軍はそうとう苦戦せざるを得なかったとあちら側が述べているのに、日本軍は指一本、輸送路には攻撃しなかった、というのと同じか。タムスク爆撃などはしていると言うのに。もっとも、これは上層部が不拡大方針だったから病むを得ないか?

技術戦としての第二次世界大戦(日本vs中ソ米英篇)という本では、『井上成美は正しかったのか?』という箇所がある。共著者のひとり、別宮氏は、井上成美は『新軍備計画論』(1941)で、「日米戦争の場合、太平洋上に散在する島々の航空基地争奪戦が必ず種作戦となる」と書かれているそうであるが、大いなる誤りだと思うとして、結果としての違う事実を書いている。

太平洋戦争の決戦は、陸戦でもなく、また基地航空部隊による空中戦(坂井三郎氏などの例)や潜水艦艦戦というより、やはり空母機動部隊という水上艦艇による、航空機を以前の主砲弾として使った海戦です。海軍の誤りは、基地航空隊や潜水艦を艦艇(空母機動部隊)決戦の道具として使ったことです、と指摘されている。(海戦要務令で規定されている)

副島氏によれば、この井上成美、山本五十六、米内光政のいわゆる海軍3羽ガラスと称される3名が中心的傀儡と指摘。空母とともに運命を共にした山口多聞海将などは立派な軍人としている。

山本長官愚将論を展開したのは、私にとっては日下公人氏だった。そこで指摘された数々の事実は、長官がパフォーマンスをして戦争をしているように見せている、だけのように書かれていた。もう十年以上前のことだったような気がする。また、前述の海軍の失敗を書かれた是本氏も、山本長官は、呉の官舎に、妾を住まわせていた、と指摘している。日下氏も、主張手当てが2ヶ月分でるというので、月末にちょこっと日本を離れ、翌月早々に日本へ戻ると言うようなパフォーマンス出撃をして、主戦場からは遠く離れていた、という指摘も。


なかのひと

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