木曜日, 11月 27, 2008

田母神論文については、いろいろな人がいろいろな立場や史観で、さまざまなことをそれぞれよくまあ、ここまで先回りして解説してくれるわい、とあきれるほど意見百出の感がある。

その中でも、田母神論文の審査委員長が、渡部昇一上智大名誉教授で、論文の解説やコメントを、現代史研究家の秦郁彦教授が批判的に展開していることで、またあのゾクゾクする両教授のバトルがどこかで展開されるはず、と密かに期待していた。

私は、田母神論文を精読したわけではないが、基本的に肯定する考えだし、憲法改正派に属す
るし、できれば核武装(原潜、空母、核武装の順序だという人もいるようだが)派で使わないために持つというのは、非常に武力としては、文字通り理想的だとつい思ってしまう。石破防衛長官(当時)が出てきて、自衛隊を海外に派遣する論議を聞いて、いずれこの人の下で、日本も核武装の方向へ、態勢作りがすすもものと考えていたが、とんでもない大誤解であった。

秦教授についても、誤解していた。一部のブログに、秦教授を右翼と言っているものがあるが、基本的に左翼とまでいわないまでも、東京裁判史観というか戦後の史観派で、どこかの社の半藤氏と近い立場の方であろうと、軌道修正した。中曽根元首相も、最初右傾の政治家と思わされてきたが。靖国問題での対応などをみて、心情左翼と、ここ一年ほどで180度評価が変わってきた。やはり、風見鶏では、狼少年と同じ結果ではないか?ご本人は右系だと思いたいでしょうが。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-782.html
には「つくる会」の右派学者・秦郁彦が田母神俊雄論文を徹底批判と題して、左の立場から徹底的に論文の史観を批判している。だいたい、朝日、毎日系の公式見解というものに属するようだ。
これに対して、「日本核武装講座」では
http://blogs.yahoo.co.jp/kanazawa_sanetoki2004/19536221.html
『田母神論文に対する毎度馬鹿馬鹿しい愚論の数々 秦郁彦編』
とあって、先生をいちおう持ち上げた後、自説を展開されていて、面白かった。

とくに、コメントのトップに
『秦郁彦は、空気を読んで長いものに巻かれようとしているのでしょう。
この人は、空気読んで、計算して、長いものに巻かれるのが得意です』とあって、皆さんそれぞれに多様な見方をしているなあ、と思う。今、右系は、個々にみな見解が違い、多様な意見がたくさんある。これは今、戦後の過渡期で、戦前の思想が少しづつ目覚めてきているからであろう。左翼は、だいたい公式見解でまとまっているが、行く先は見えてきている時代となってきた。
たとえば、正論談話室でも、渡辺龍二氏という、談話室の校長先生と左がかった投稿者の一部から揶揄されたものの、ぶれない方がいて、このように一人一人の個性というか自覚がはっきりしている人がいろいろ出てくるようになった。ちなみにこの方はまだ50歳、もちろんアンチ朝日の立場である。
 『悪が盛んなる時は一時的に悪が勝つように見えることがありますが、時間がたてば公平の針は戻ってきます。若い人たちは左翼教育を受けていても自分の頭で考える人が多くなっています。若い世代は毒されていない人が多いですからね。日本の未来のためにも…。』

『○この掲示板で何回も投稿されました、田母神論文ですが、

これは「日本だけが侵略国家といわれる筋合いもない」というものです。
思想は個人の自由ですが、田母神論文は、軍人の思想としてはまっとうなものです。

アメリカの軍人がアメリカは侵略国家ではない、ベトナム戦争は正しい(政策の成否ではなく正義かどうかの善悪の問題で)と言っても問題にはならないし、中国の軍人が中国は侵略国家でないと言っても問題にはなりません。 逆に、ベトナム戦争は米国の侵略だと米国の軍人のトップが言ったり、チベット侵攻は中国の侵略だと中国の軍事のトップが言えば問題になります。そういうものです。

しかし、日本の場合は日本は悪で侵略国家だと言わなければ問題になります。これがすなわち東京裁判史観です。知らず知らず、それににどっぷり浸かっている人がいます。そうでなければ説明がつきにくいですね。』

さて、新年号のWILLに、とうとう渡部教授の見解が載った。審査委員長だったということから、いろいろと面白い『事実』が出ているのでは!?と大いに期待した。

題名は、村山談話は外務省談話だ、と言うもの。

最初は気にも留めずにいたが、読み終わりこれを各段階になって読み返し愕然とした。

昭和60年に、村山談話とほぼ同内容を国会で答弁したのが、ほかでもない雅子妃の父親だと言うこと。う~ん、やはりそうか?。これでは、雅子妃も考え方と環境がマッチしませんね。ご病気の遠因は、親の思想かも知れません。外務省を、中国外交部の出先とまで呼ばれるようにさせたわけは、この人の「信念」にあったのかも。おそらく朝日新聞の、疑問を感じない優良な読者の一人だったのだろう。

やはり、ありました。問題の秦郁彦氏の見解に対するコメントです。

しかし、最初にまず、田母神論文肯定者の学者先生、小堀桂一郎元東大教授の話から入っている。小堀氏は、東京裁判却下未提出弁護側資料を見つけ出し、「東京裁判ー日本の弁明」などを出された先生で、旧かなづかいで、サンケイ新聞には投稿される。どうようの旧かなづかいで、投稿される先生に、埼玉大教授の長谷川先生がいて、思想も近いように感じている。

『ここには(田母神論文)私ども自由な民間の研究者たちが、20世紀の世界史の実相はおおむねこうだったのだと、多年の研究から結論し、信じているとおりの歴史解釈が極く冷静に、条理を尽くして語られている』と。渡部教授は、小堀先生のこの評価だけで十分だと思う、としている。

『秦郁彦氏の問題点』という部分もある。週間新潮(11月13日号)が、秦氏のコメントを中心にまとめた題材などについての反論が中心のようだ。新潮の記者氏が史実として頼ったのは、主として秦郁彦氏のようだ、と書いている。

その直後で、教授は、秦氏に近現代史についてお伺いを立てるのは、極めて危険であると思っている、と書かれている。私のような素人でも???のつく学者先生の秦氏であるから、この記述は当然か!?

『例えば、秦氏は、支那事変の研究についてのある意味での先覚者ではありますが、その後に発見されたいろいろな史料、特に21世紀になってから発見された様々な史料や研究には目をつぶっておられる様に見えます。また、私自身の体験として秦氏は「嘘だとわかっても頑として撤回しない人だ」とわかったこともあります。』・・・『特に中国大陸の事件に関しては北村稔教授や東中野修道教授のような方々が、当時の中国政府の原資料に当たっておられます。こういう研究を秦氏はなさっておりませんでした。ですから、小堀氏も言われるように田母神前空幕長のほうが、新しい研究を丁寧に当たっておれるようように思います。』とある。

この文章の途中に、渡部教授や、他の人たちが繰り返し指摘した、南京戦に参加していなかった兵士が書いた、秦教授が口を極めて褒めて引用した本は偽物ということを10年間以上にわたって変えようとしなかった、という指摘があり、その最後に、(最近はさすがに変えたと聞いています)とあった。

半藤氏も、ベストセラーの部類に入るとされる「ノモンハンの夏」を書いて、ソ連側史料が出てきても、出版前から分かっていても、規定の路線で出版してしまった。

例の副島氏も、最近の著作で、南京大虐殺はあった、私は秦教授の4万人説を信ずる、などと今年になってもまだ言っていることを考えあわせると、意外と当時者たちは、最初の思い込みから自由になっていないな~と思ってしまう。

研究者は、まず既成事実とされるものを疑うことからスタートする、といっても過言ではなく、新事実を発見するのは、自由な心の働きだ、と岡博士も力説されていた。研究は自由な立場で行うものだ。東中野教授も、この前、テレビのインタビューで話されていたが、20年近く前、南京事件の研究をスタートさせたとき、今日のような結論に至るとは考えられないことだった、と述解されていた。

研究の価値は、始めにあるのであって、終わりにあるのではない、と岡博士。一人の研究者の業績を評価するには、少なくとも半世紀以上は要するとも。数学についての経験談であるが、学問全般についていえるものと信ずる。そうすると、左翼史観の、毎日新聞に多くのコメントを寄せた山口大の纐纈厚(こうけつ あつし)教授は、田母神論文のモトは、陰謀史観で、トンデモな歴史認識だというが、東京裁判史観こそでっちあげのトンデモな戦後史認識でしょう。
多くの矛盾と、それを指摘する資料が実在しているのに、・・・。この人たちの論理は、ソ連崩壊の事実も、事実としては、脳裏に刻まれていないような思考回路に属するらしい。最初に結論ありき。以下、別の機会に。


なかのひと

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