日曜日, 10月 26, 2008

かってこのブログで、真珠湾攻撃が事前にアメリカによって察知されており、米政府高官たちは夫妻でお茶会をしながら、真珠湾攻撃の実況中継を無線連絡で聞いていた、という副島氏の指摘を紹介した。

そして、米内海軍大臣、山本長官、井上成美海軍次官(いわゆる海軍三羽ガラス)が実は米国のスパイ(米内海軍大臣が米国のスパイ)で、井上海軍次官は、米内の意を受け、中国本土を爆撃、日米和平交渉を頓挫させ、山本は真珠湾を攻撃させてくれなきゃ辞任するとまでごねて、海軍上層部を説得、東条首相も知らない間に奇襲攻撃を敢行した、と紹介。それで、だまし討ちの汚名をあびた宣戦布告の文書翻訳が遅れた駐米大使館の二人の大使館員も、当然スパイだったのでは、と私は思ってしまった。ちなみに海軍の米内光政はフリーメーソン会員とする説も、昔聞いたことがある。そうなると、いくら金をもらってスパイとなった、などという次元ではない話しになる。世界国家樹立のための尖兵といったところか!?

戦後この二人は昇進し、渡部教授は名前をあげて、この昇進はおかしいと早くから指摘していた。他人のせいにするわけではないが、この重大局面時にあまりにも日本にとって不都合な事実が多すぎた真珠湾奇襲攻撃であったので、極めて怪しいとにらんでいた。

ただ事実は小説よりも奇なり、当時から、この館員のひとり、井口貞夫参事官の息子さんが、父親の汚名をそそごうと、同じ外務省にありながら史学会会員となって、勉強し当時の外交文書の手交を遅らせた原因は、現地の参事官たちの(前日に送別パーティがあって、皆翌日飲み過ぎの二日酔いで電文解読を行っていた!)怠慢ではないということを立証しようと努力していることは、ある筋から存じ上げていた。

雑誌「WILL}12月号には、書評欄で(148〜149)で、元文芸春秋編集長だった堤堯(つつみぎょう)氏が、この当時の在米日本大使館員井口貞夫氏の息子さんである井口武夫氏が父親らの汚名をそそごうと書き上げた『開戦神話ーーー対米通告はなぜおくれたのか』(新潮社、2100円)を取り上げている。

文芸春秋社出身、新潮社発行と、副島氏がアメリカの代弁と指摘したことが気掛かりではあるが、・・・・・。

以下はその著書の内容概略である。

『本書は種々の資料を駆使して軍部と本省の作為・工作が通告の遅れを招いたことを立証する。』などとある。

『だいたい、駐米大使野村吉三郎自身が、この文書を開戦通知と受けとらず、遅れて持参して
ハル長官に面罵される。』

『通告文の原文には、「将来起こる一切の事態の責任は、挙げてアメリカ政府にある。」とあり、通常これは開戦を意味する外交用語であるが、これを軍部と本省(外務省)は削った。』

『加えて、これを手交する時間を攻撃のぎりぎり直前とした。さらには通告文のうち、最後の第14部の発信を15時間遅らせた。おまけに本来なら「大至急」の指定を「至急」だけとした。
「大至急」ならアメリカの通信会社は夜中でも即刻大使館に届ける』という。

『つまりは事後通告となるよう画策したとしか思われない。』

『軍部と本省は、野村をはじめとする在米大使館をまったくのツンボ桟敷に置いた。なのに口を拭って在米大使館だけに罪をかぶせるとは何事か。その痛憤が本書を書かせた。』と、ある。

『奇襲の前日正午、ルーズベルトから天皇宛ての親書が中央電信局に届いた。これを10時間にわたって留めたのが陸軍参謀本部通信課の少佐・戸村盛雄でもとより上層部の指示なくしてはできない。』

『参謀本部の中核は作戦課で課長・服部卓四郎、班長・辻正信、班長補佐・瀬島隆三の三人が仕切る。防衛研修所に殘る戸村の証言は、瀬島の関与を明らかにしている。第14部にからむ工作も、瀬島の指示・圧力を示す状況証拠がある。親電の解読しだいでは、第14部に補筆・訂正を生じるかもしれない。これを口実に発信を15時間も遅らせた。親電差し止めと第14部の発信差し止めとはリンケージしていた。』

http://ja.wikipedia.org/wiki/服部卓四郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信

http://ja.wikipedia.org/wiki/瀬島龍三

http://ja.wikipedia.org/wiki/井口貞夫

『戦後、在米大使館員は誰一人責任を問われなかった。井口貞夫と奥村勝蔵は外務次官に栄達した。宰相・吉田茂の措置とされる。これについて吉田は非難されたが、その間の事情をよくよく知ってのことだったのかもしれない。』とある。

ちなみにアメリカは米西戦争でも、近くはイラク戦争でも無通告の攻撃に出ている。日本だけに「汚名」を着せる資格はない、と書評は結んでいる。


なかのひと

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

真珠湾攻撃は

天皇陛下が承認し、
政府代表の東条首相も承知、
陸軍も承知、
陸軍海軍合意
の上で作戦が作られて実施されたのです。

遅くとも11月3日には天皇陛下に作戦の詳細が報告されています。陸軍参謀本部には8月22日にハワイ奇襲攻撃の連絡がされ、以降陸海作戦担当者の間で作戦が研究立案されて行き、10月末には完成し11月3日に陸軍参謀総長と海軍軍令部総長がこれを天皇陛下の前で読み上げました。東条首相は陸軍大臣も兼務していましたから当然早い段階で概要は知っていたはずです。「東条宣誓供述書」でも「私は陸軍大臣として参謀総長より詳細は承知していた」と記述しています。以上の記録は戦史叢書や杉山メモといった資料に記録が残っています。機密が漏れるのを防止する為に極く一部の人たちに限定して連絡されていたのでこんな誤解が出てきたのと、なぜか意図的に偽りのことを宣伝する人たちがいるのも事実です。

匿名 さんのコメント...

真珠湾攻撃は

天皇陛下が承認し、
政府代表の東条首相も承知、
陸軍も承知、
陸軍海軍合意
の上で作戦が作られて実施されたのです。

遅くとも11月3日には天皇陛下に作戦の詳細が報告されています。陸軍参謀本部には8月22日にハワイ奇襲攻撃の連絡がされ、以降陸海作戦担当者の間で作戦が研究立案されて行き、10月末には完成し11月3日に陸軍参謀総長と海軍軍令部総長がこれを天皇陛下の前で読み上げました。東条首相は陸軍大臣も兼務していましたから当然早い段階で概要は知っていたはずです。「東条宣誓供述書」でも「私は陸軍大臣として参謀総長より詳細は承知していた」と記述しています。以上の記録は戦史叢書や杉山メモといった資料に記録が残っています。機密が漏れるのを防止する為に極く一部の人たちに限定して連絡されていたのでこんな誤解が出てきたのです。また何故か意図的に偽りのことを宣伝する人たちがいるのも事実です。