金曜日, 10月 17, 2008

その根性と気位見事なり

という見出しで「アメリカで日本人学生が奨学金をもらえるのにそれを断ったという話を書いてみよう」という一文が、サンケイ新聞に載った。君に伝えたい、日本。となっている。筆者は、評論家、社会貢献支援財団会長の、日下公人(きみんど)氏。

「慶応義塾ができたばかりの頃、池田成彬という学生がいて、ある宣教師がハーバード大学への留学をすすめた。奨学金の話はつけてあるというので、喜んで行ってみたところ。『いきなりあげる奨学金はない。まず1年間勉強して良い成績をとってからだ』というので苦学生になった。」

「学生食堂で友人たちが食事をしているあいだに給仕をしたり、先生のために図書館に行って本を取ってきたりで、私の知っている坂井徳太郎という方もその約10年前、教室の窓ガラスを拭きながら授業を聞き、夜自室に帰ってから記憶でノートを作ったそうで、スクール・ボーイというのだと教えてくれた。」とある。

「日本に帰る金もなく、貧乏のどん底の生活をしていると、見るに見かねて、援助しようというアメリカ人が現れた。
 喜んで飛びついただろうと思ってはいけない。明治時代の日本人には根性があった。
 『なぜ自分に金くれるのか』
 『貧乏で見ていられないからだ』
 『それでは困る。頭がよいからだ、と言ってくれ』
 『それはまだわからない。1年経って試験の成績を見なくては言えない』
 『貧乏が理由で他人から金をもらっては物乞いになる。自分は米沢藩の家老の息子で、もとはといえば武士出ある』と言って奨学金をことわり何とか借金して日本へ帰ってきた。」という。

福沢諭吉塾長にその旨を報告すると、奨学金をあげるからここの卒業生になりなさい、と言われたそうだ。

 この池田成彬は、卒業後、三井銀行にはいって常務になり、・・・昭和12年には日銀総裁、13年には大蔵大臣にもなった。
今の日本は貧乏なら金をやる、というODAを世界に配っている。まるで品がない、日本も相手も。こういうお金だけで物事を考える人が上にいる国はいつかは崩壊する。・・・などとかいている。

本欄でことしの10月5日でとりあげた副島隆彦氏の『時代を見通す力』(副題:歴史に学ぶ知恵恵)には、この池田成彬について、ある疑惑を取り上げている。

それは昭和5年の金解禁に関するもので、浜口雄幸首相と蔵相井上準之助が金解禁を断行したのだったが、池田成彬は、戦後そのことに無関係だったかのような、井上の三井内部では上司だった池田が、政界に移った井上の変節を驚いてみせているというが、・・・・。

1930年(昭和5年)の時の金解禁は1998年から日本に布かれた外国資本の日本国内流入の自由化政策である「金融侵入自由化政策」(金融ビッグバン)とそっくりであるという。

あの時浜口雄幸ら日本の政治指導者たちは、その後の世界が「世界大不況」から大戦争に向かうことを予測できていない。大国同士が植民地の天然資源の争奪戦を行い、不可避に世界戦争へと向かうという冷静な判断が出来なかった、という。・・・全く同じことを最近の小泉内閣が行った。小泉純一郎と竹中平蔵はアメリカ政府と、それを背後から動かすニューヨークの金融財界からの厳しい要求をうけて、これに忠実にしたがって大切な日本国民の資産をアメリカにどんどん差し出した。・・・などという。

『1929年、ニューヨーク発の世界恐慌の起こったまさしく同年に、日本は「金解禁」という世界の嵐を国内に呼び込むことを指導者たちはしてしまった。為替が激しく変動しているので日本企業は輸出の計画が立てられないで困っている。世界の一流国は皆金解禁をしているのだから、というのが表面の理由であった。』

『この「金解禁即時断行の建議書」は、1928年10月(昭和3年)に三井財閥の大番頭で東京手形交換所理事長をしていた池田成彬(しげあき)が提出している。このあたりから日本の金融のかじ取りが怪しくなっている。・・・その頃の日本は慢性的な借金国家であって借金の返済で首が回らなかった(今の日本は大黒字国家なのである。それなのに!)。だから借換債を発行して引き受けてもらう必要があった。・・・なぜなら日本が金解禁した翌年にはイギリスがついに金本位制の停止宣言をおこない、その10月には日本も金輸出の再禁止という赤っ恥ものの緊急な政策転換を迫られた。』という。

・・・・『金解禁に反対していたはずの井上準之助蔵相が、なぜ金解禁断行に転じたか?』
日本の歴史、ファシズムへの道、中公文庫ー187には、『かれはもともと高橋是清の子分であり政友会に近かったといってよく、田中内閣ができるとき、外相に白羽の矢を立てられたことさえあったはどだった。その井上が突然民政党に入り、しかも蔵相となるや、これまでの主張をがらりと変えて金解禁にのりだしたのだから、世間はあっと驚いたものだった___大内力(つとむ)の文

民政党ーロックフェラー系 三菱系 :  政友会 ロスチャイルド系、三井系という図式が随所にあらわれるのもこの本の特徴。幣原喜重郎の奥さんも岩崎家の4女だった、という。日英同盟廃棄推進者だった。何となく、臭いますね。

『私(副島)は今では井上よりも池田を深く疑っている。1932年殺された同じ三井の大番頭の団琢磨よりも池田成彬のほうが格が上だったはずなのだ。団琢磨は死んで、どうして池田のほうは暗殺されないで戦後もずっと生きて「資源派財界人」になったのか?その謎解きは以下のとおりだ。・・・・・(秘密)・・・・・にしておこう。詳しく知りたい方は、本書275ページをどうぞ。

浜口と井上が人が変わったようになって強引に実施した金解禁は、やがて右翼の攻撃を受け二人は次々にテロで倒れる。おそらく口封じである。そしてそのわずか三ヶ月後の5・15事件で犬養首相(政友会)も殺されたのである、と。幣原も、真珠湾攻撃時の背信の外務官僚も戦後勲一等を受けている。坂井三郎氏の上司だった海兵出の笹井中尉機を撃墜した米軍パイロットも同様である。こちらは、空自育成の功績で。

金解禁は平成の「金融ビッグバン」によく似ているという。歴史は繰り返さないが、繰り返しているように見えるだけなのか?それとも・・・・・国立公文書館は日本にあるのか!?

なかのひと





 

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