日曜日, 9月 14, 2008



近年、日本人が日本人のためを主目的とする場合でも、多くの場では日本語ではなく、英語・英文が推奨されるケースが増加している。日産では、海外取締役も多いせいもあるだろうが、だいぶ前から会議は英語だそうである。

もちろん、圧倒的に多くは日本語でいいのだろうが、技術文書や、論文は英文で書かないと、相手にされないし、業績にもならない状況になって来ている。

丸善で出している物理学関連論文を、英語で出すためのガイダンスにも、就職も昇進も「英文を書く能力」に依存している、という記述に出会って、意を強くした。

数学の矢野健太郎教授が海外で、日本人は教育で何年間英語を勉強するのかと聞かれて答えたら、驚かれたというが、その割に英語が下手だという意味ではないか、というようなことを書かれていて、日本人にとっては英語は、親しみやすいが難関なのだと改めて思った。

先般の英国映画も解るところはわかるが、解らないところは想像すらできない現実を味わった。

上智大学の渡部名誉教授などは、従来の日本の英語教育であまり問題はないような方向の話を多くされるように思うが、これと真っ向から反対する意見も結構ある。

さらに、アメリカですら、大学4年になっても、国語(つまり英語)の授業で、いろいろと絞られているという話を聞くに及んで、日本人にとって国際理解は永遠に絶望なのではないか、とさえ危惧してしまう。

神奈川大学長だった桜井邦朋博士の書かれた「科学英語英語論文を書く前に」(1988年5月)も参考になったというか、日本文と英文との根本的違いについて蒙を開かれたが、地本姿勢の違いは在る程度目鼻がついた程度で、具体的な英文力はちっとも進歩はない。博士は、タイムズ誌をよみなさい、ともいい、雪国などの英文と日本文を読み比べて比較しなさい、というような指示もされている。それで、タイム誌数年分が収められたCDを買い、ある単語を入力すると、それを含んだ文章がいくらでも検索できる。そのおかげで、校閲で指摘された単語の言い換えを、明確な理由で拒否することができた。この時、相手は東大出の教授だった(後で解った)が、日本人。一目で英文を見てネイティブではないな、と思っていた。

若い時から、この前書いた今道友信教授が言われている、日本の大学は、優秀な学生を愚かにして送り出しているような気がする、と言われた原因の一つに、日本語と英語(広く欧文)との基本発想の違いも起因しているのでは、と思って折りに触れて気をつけてはきたが、もちろん結論はでていないが、かなりちがう発想であることは確かなようである。

コンピュータのプログラム言語が英語の類いで書かれていることは、それなりに良くできていて、日本語(漢文)で書くと、いろいろと漏れやねじれのための冗長さが混じり混んでうまくいきにくいということもどこかで読んだこともある。

「新修解析学」(梶原壤二・現代数学社、1989年第4刷)でも、奈良県・大阪府の教員採用試験問題、「数学教育現代化について記せ」などで始まる「位相」関連の院入試問題の解説中、日本語の論理性と欧文や中国語との論理性の違いを指摘されている。



 『福沢諭吉は、『福翁百話』の中で、物理学を勉強しなければならないということを強調している。
なぜ、私たち日本人が物理学を勉強しなければいけないかというと、論理的な思考が日本人にはものすごく弱いからだと、彼は説く。そういうものをきちんと養わないと、西洋のものの考え方に近づくことができない。』と桜井博士もどこかで書いておられた。

 『(株)宇宙環境利用研究所の加納剛は、詩人大岡信の表現、「日本では古来から自然の事物のひとつひとつに対して相応しい名前を与え、極めて鋭敏な感性的認知の精密さを讃えねばならないが、個々の微妙なニュアンスの差を越えて色環的な認識を形創るための抽象の努力をすることが絶えてなかったことは日本人の認識能力にある種の本性的欠陥があることを示す。」(大岡信、日本の色、朝日新聞社、1976)を引用し、ユニークな日本人についての科学的認識論を展開している(加納剛、KAST Report
Vol.3,No.1,1991)』などという指摘も、日本人の論理性を考える上で参考になる。

要素に還元するのが下手というのも、日本語の中における論理性に明確な基準がないことに由来するのでは、とさえ思うことがある。

さて、前置きが長くなったが、中野幾雄氏の略歴は、裏扉によれば、米軍鉄道輸送司令部通訳からスタートし、ついで、米軍総司令部参謀第二部民間情報部公案課勤務などを経て、自衛隊各学校、内閣調査室などで、機密翻訳、米国留学し、航空交通管制、レーダー学専修、とあり、現在大手企業などで英語指導。多くの著書がある、とされているが、私は本屋でむぐりあうまで、全然知らなかった。「英語はかけなければならない」「燃え上がる英作文」「やりなおしの英語」「応用自在の英語」「不定詞のすべてがわかる本」「日本語を英語で教える法」(以上明日香出版)、ほか多数。
現在は、英作文道場をネットで開いておられる。
http://think-write-talk.com/

工業英検というものもあるようで、その合格者の方も勉強法のブログでも触れられていた。

「物質がこれ以上分解できない粒子を、分子という」という文章は、現代の常識から見れば古典的すぎると思うかもしれないが、英訳では以下のようになっていた。

The smallest particle into which a substance is sivided is called molecule.

「その時向かって右側のバルブが開き、水が流れる。」

日本語は多くの場合、「人」を主語としてものを表現する。本文の場合も「バルブ」が主語でありながら、その存在を全く無視するかのように「向かって」と言っている。「向かって」は「人が(それに)向かって」ということで、「が」のつく「人」を強く意識した形となっている。英文はそのようなことは絶対にできない。選んだ(正しくは「選ばれた」)主語にきわめて忠実に、それにあう語句を書き連ねて行く。

Then, the second valve from the right end opens as observed from the front, and water flows through it.

もう一例。

「図27のように、ダブルロールフィールドは、右から左へ材料を送る右送り形式がほとんどである。」

The double roll-feeding is usually a type in which the material is fed from left to right as shown in Fig.27.

英語ではさらに、定冠詞・不定冠詞の使い方が、日本人には不慣れなため、私の所属する学会も、英文専用誌をあらたに創刊した際、ネーティブの外人さんに最終校閲をお願いしたりしている。

今改めて例文を読むと、aとtheの使い方が極めてうまく使われている、と思った。英語は、
帽子を被って家を出た、でも、誰の帽子を、誰の頭に、誰の家をというようにいちいち指定していかねばならない、という。



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なかのひと

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