木曜日, 8月 21, 2008



前回の映画『靖国』とともに、映画館で販売していた『映画靖国 上映中止をめぐる大議論』(創出版)の
前書きを改めて読んだ。

そこには、約10年ほど前、映画『南京1937』が公開されたとき、右翼からの攻撃は今回の比ではない規模の
スケールのおおきいものだったにも拘わらず、上映を敢行した映画館もあったのに比べて、今回の上映自粛の
連鎖は、見えない暴力の影に怯えていて、トラブルに巻き込まれたくない、さわらぬ神にたたりなしといった空気が社会全体に蔓延していることに問題がある、という。

それはこの10年間に日本の社会の変化を端的に示す事柄かもしれない、とある。戦争責任、慰安婦、ジェンダーといったある種のテーマについては、自由に集会を開くこともできない事態が頻発しているのである、と。

著者に名を連ねている上野千鶴子氏は、最後にそうした事態の一端を報告している。しかし、著者に名を連ねている宮台真司氏は、マック使いの社会学者で有名人であるが、鈴木邦男氏って!?誰と思った。

著者略歴を見ると、鈴木邦男氏は、一水会顧問だという。水交社というのが、海軍上級士官達の親睦団体だったことから、その類かと思いきや、なんと右翼団体だという。

宮台教授の言説に興味があって、映画代金と同額の解説本を買ったのだが、この宮台先生の対談相手も、一水会顧問だった。

最初ふたりは、左翼的立場から発言しているのか?という先入観で読み出したものである。東大院時代、小室直樹法学博士の弟子筋だっという宮台先生の発言に、ある種の期待をもっていたのだが、最近やはり左翼的発言に終始しているような受け止め方をしていた。しかし、準教授ならいざ知らず、いまや首都大学東京の教授であるからか?、そうした匂いはほとんど消えている。

対談のタイトルは、『上映中止騒動が市民社会に問うたもの』となっている。

宮台「刀匠の刈谷さんが、「取材のときに聞いていた話しとちがう」と言っています。リベラル側は、国際戦犯法廷で、「放送されるといっていたのに放送されないとは何事か」と期待権を主張する。その理屈で戦犯法廷の主催者側を応援するのなら、刈谷さんも応援すべきです。自称リベラルは、正論を語る格好をしつつ、内容に依存した肩入れをしているだけ。民主主義者なら、内容の主義主張に関係なく平等に期待権を認めなきゃ。刈谷さんの話を聞いて本当はどうだったのだろうと調査しなきゃ。戦犯法廷側の抗議は聞いてあげて、靖国側の抗議は「洗脳されたんだろ」と拒絶するのは卑怯です。リベラルの名に値しない。」

などとご発言。

「政治は象徴闘争です。世間が反靖国とラベル貼りした作品に抗議するのは、中身に関係なく、ありです。ただ、中身については僕は揶揄とは思いません。右翼のオーラに僕は謙虚に感染しました。」

「・・・靖国イメージも単調だけど、刈谷さんや、台湾原住民の描き方も単調です。まるで、「刀鍛治としての人生がすべて」「靖国に反対する人生がすべて」みたいな描かれ方。実際に人生は万華鏡です。靖国も万華鏡です。それを取り込めないなら、駄作です。先日も僕は、靖国で夜桜能を観て心から堪能しました。靖国にもいろんな季節があり、いろんな日があり、いろんな顔がある。その中の一コマとして「ああいう人もいる」と描けないなら退屈です。・・・」

「だから、僕は、内容は駄作でも、上映を擁護します。あの映画を擁護する人が内容を褒めるのが情けない。内容がいいから擁護するんじゃ、民主主義者じゃない。」

顧問「今回、右翼の試写会を取材に来たマスコミの人は、「右翼の人はなにもしゃべれないのかと思っていたたら、きちんと自分の意見を言うんですね」と言っていた。確かに一般の人はそういうふうに思っているかもしれない。
叫んでいるだけで、きちっとした理論に基づいてはいないとか、・・・。」

宮台「大きな話をすると、GHQの検閲に問題があります。自称右翼の亜細亜主義など日本の右翼思想の膨大な蓄積を知りません。北一輝が、大川周明が、石原莞爾が、田中智學が、どんなに凄いことをいったのか知らない。でも自称右翼のせいではありません。思想の蓄積を見聞する機会を奪われたのです。右翼が賢くなれないよう操縦されている。倫理社会の教科書でも、戦前には傍流だった福沢諭吉を含めた脱亜入欧派や啓蒙派ばかり紹介されます。大川周明や石原莞爾や中野正剛が何を言っていたのかを知る機会が奪われています。「東洋原理を守るために西洋原理を使え」「列強の帝国主義に掉さすことで坑え」と主張する「オルタナティブな近代思想」たる亜細亜主義者の志向は、啓蒙派よりも思想的に深い。右翼のほうが左翼よりも思想的に深いのに、それを知ることができないから、右翼が浅くなり、左翼も浅くなる。」

顧問「それはありますね、言論が鍛えられない。勉強する場も無い。・・・」

宮台「元はといえば、週間新潮が記事を書いたのが発端だけど、それに触発された稲田議員(自民党)が疑義を呈して以降の一連の展開は・・・表現の自由の危機といった紋きり型のものいいで済ませるべきじゃない。」

などとなっている。

顧問「宮台さんは自民党の一部が特別試写会を求めたことに対しては認めていましたね。」

宮台「僕は構わないと思いますよ。」

顧問「僕は事前検閲じゃないかと思ったんですが、それは違うんですか?」

宮台「上映するなと言い出したなら、事前検閲。でもそれは言ってないですから。」

そして、最後はこう締めくくっている。

宮台「そうした危機感をもつ右翼の方々が、一堂に会するのは珍しい。凄く良かったですよ。何事も瓢箪から駒だし、人間万事塞翁が馬。いろんなものを利用して成熟に向かって経験を積むしかない。なのに思考停止の条件反射がどの方面にも多すぎます。個人的最適化もいいが、社会的最適化も大切です。・・・自分の意見をいうのも大切だけど、気にくわない意見をいう相手の存在を認める社会を守り抜くことも大切です。」


最後になったが、激論ムック『8.15と靖国の真実』は映画靖国の事前評判も頭にいれておこうという気持ちもあって購入した。編集者の講演でも、瞠目すべき内容があった、記憶がある人である。

はじめに、には「受け継がれゆくもの」としてあって、

『靖国神社のみたま祭りは、占領中の昭和22年に始まった。敗戦2年後の出来事だが、20万人の人出で賑わった。

西尾幹二氏は、新著「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)で、敗戦直後の日本人が占領軍を受け入れながらも「日本人の中にも密かな抵抗、占領軍に対する表立たない不服従の意識が働いていた」と看破している。

日本敗戦後、占領軍は靖国神社の解体を目論んでいた。日本人と日本軍の強さを恐れた米国は訳もわからず、<国家神道>というイデオロギーをでっちあげ、自らの恐怖を除去したかったからだ。

・・・ ・・・・ ・・・・

昭和28年には、日本社会党の堤テルヨ衆議院議員の提言で遺族援護法の改正を目指す運動が盛り上がり、当時の有権者のほとんどである4000万人の書名も集まり、国会で与野党全開一致で改正遺族援護法が可決されたのである。

すなわち東京裁判を含めた連合国の軍事裁判で処断されたA、B、C各類の戦犯を日本人のまさに総意で救済したのである。
・・・   ・・・
ところ、90年代になって共産主義思想が衰退するとともに、逆に日本国内でこれらの歴史的事実や日本人の記憶を抹殺する動きが始まった。

民主党の野田佳彦衆議院議員が平成17年に国会で「戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻している」という質問趣意書を提出した。政府は「国内法上は戦犯は存在しない」と答弁したしたのだが、朝日新聞やNHKを始めとする反日メディアはほとんど報道することが無かった。

日本は再び占領かに戻ったのであろうか?』 編集長 西村幸祐

とある。

宮台教授が、右翼顧問との対談で指摘した、『大きな話をすると、GHQの検閲に問題があります。自称右翼の亜細亜主義など日本の右翼思想の膨大な蓄積を知りません。北一輝が、大川周明が、石原莞爾が、田中智學が、どんなに凄いことをいったのか知らない。』ということは、「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)を見ていけば、より鮮明になるはずだ。

この焚書がGHQの最大の大罪だとされている。東京裁判も、南京事件の報道もすべて米国が主導したものだ。

そこには、KGBのエージェントたちも深くかかわっている。最近は、張作霖爆殺も、KGBが関東軍がやったように見せかけた、という説があちらかも出てきた。

この10年、南京事件についての研究もすすみ、YOU TUBEにもそれをやらせだった、という映像がアップされた。

そもそも昭和19年になって、米軍が急に南京20万人大虐殺を宣伝し始めた。

それは、日本の大都市を無差別爆撃する際の良心の麻痺を狙って、アメリカが仕組んだ、とTAMAGAWA BOAT氏はフィルムの中に書き込んでいる。その映像操作により、非戦闘員80万人の命が奪われた、と明言している。

台湾に眠っていた、蒋介石側の外交記録文書にも、日本軍が民家を誤爆したことでも被害や抗議の記録があるのに、南京戦のときは何もかきこまれていない、という。温家宝首相来日の折、この矛盾を糾したら、無言でスタコラ退散した、という。

南京戦のとき、欧米メディアも40名以上はいっていたが、ついにまともな(虐殺の)記録映像は撮れなった、という。そこで、古い別の映像を滑り込ませるという手口をアカデミー賞を三度も受賞した監督が意図的にしたことだと言う。朝日の記社だけでも80名ほどの密度で入っていた、という時代。

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