火曜日, 8月 19, 2008


中国人李纓(リ・イン)監督による映画「靖国」を見てきた。あちこちで上映中止となったいわくつきの映画である、とされてきたがいざフタをあけてみると日本人の多くからは意外と抵抗がすくないことが指摘されていた。

一緒に購入した解説本によると、最初に問題視したのは週間新潮で、いわゆる南京虐殺の証拠とされた日本兵によると見られる捕虜の日本刀での処刑らしき写真なども何回か映画に挿入されて、日本人としては不快感を呼び覚まされるように感じた。しかし、南京関連本の中で証拠とされた写真は、すべて誤用か、捏造写真と最近では一枚として、証拠となる実証的写真ではない、というところまで研究は進んで、今では無かった派が優占種となる地殻変動が続いている。右翼の抗議は尤もなことだと思うが、靖国の日本刀をテーマに上げている以上、割愛はできなかったはずだが、何の脚注もなく載せたことが後々まで尾を引く。

英文字幕ともなれば、公開する国によって、如何様にも脚色されうる恐れ、というよりほぼ確実だろうから。

アメリカの国策記録映画で、日本軍の南京における虐殺シーンとされているいくつかのシーンは、蒋介石の配下の兵が共産党員を処刑しているシーンで、中国兵とばればいように、兵士側の映像をカットしていたことがあきらかになった。アメリカ国民の対日憎悪を助長させる目的で作られた、という。南京戦には、欧米の取材班も同行しており、そのようなカットはみつかっていないそうだ。

http://www.metacafe.com/watch/639587/movie_the_fake_of_nanking_1/




南京大虐殺の嘘をあばいたビデオクリップ『FAKE OF NANKING』を見よう。グーグル検索で『・・・』を打ち込めば、即座に可能となる。上記サイトでも可のうである。一時YOU TUBEから削除されたという記事も見えるが、今はまた可能なようだ。TAMAGAWA BOAT 氏の力作。(8・15と靖国の真実、激論ムック、オークラ出版2008.9)

小泉首相の参拝シーンも収録されている。一昨年の8月15日の人々をカメラに収めたらしい。君が代斉唱中に、侵略戦争のシンボルなんだぞ、靖国は!などと叫んで式に乱入した若者二人は、ズボンを脱がされかかるほどもみくちゃにされて相当ふたりとも殴られたようだ。一人は中国人とかで、門の外まで中国へ帰れ!と怒鳴られながら出て行ったし、日本人と思われる若者は鼻血で、顎まで朱に染めて、警官たちに救急車に押し込められながらも、主張を繰り返していた。彼が50歳を過ぎる頃、どんな心境にに陥っているか興味があるが、回りの観客は、この青臭い主張を、笑っていた。

旧軍の正装(と思われる)をして、軍刀をさげて参拝する人たちもけっこう多い。また、集団で軍服に身を包み、下手なラッパを吹きながら行進するグループも何組か納められていた。冊子の表紙に載っている人も、そうしたグループの中の一人らしい。

天皇陛下や東条首相などの戦前の軍服姿の参拝シーンでは、西南戦争の後でできてさかんに謳われたという軍歌『抜刀隊』の一番と二番が男声合掌で流れた。大正あたりの録音か?
この曲は、学徒出陣のニュース映画でも、雨の中を分列行進する大学生たちを送り出す際にもさかんに演奏されていたが、歌詞は最近まで知らなかった。

吾は官軍、我が敵は天地容れざる朝敵ぞ〜で始まるが、

二番の出だしは、字幕もないので判然としない。しかも私の有するCDでは、日本刀をにっぽん刀と歌っているのに、映画のそれは、日本刀をやまとがたなとうたっているバージョンだった。陸軍外山学校軍楽隊演奏、テレフンケンレコードなどとほぼ同一バージョンと思える私が買ったCDの記録には、そう書かれている。

皇国(みくに)の風ともののふは
その身を護る魂の
維新このかた廃れたる
日本刀のいまさらに
また世にいずる身のほまれ
敵も味方も諸共に
刃の下に死すべきに
大和だましいあるものの
死すべきときはいまなるぞ
人に遅れて恥かくな

敵のほろぶるそれまでは
進めや進め諸共に
玉散る剣抜き連れて
死する覚悟ですすむべし

私はこの曲で軍歌に目覚めたのかもしれない、好きな曲である。映画の最後では、ちゃんと外山正一の名前も作曲者のシャルル・ルルーとともに出ていた。明治の日本で大流行した歌だそうである(軍歌と日本人、宝島社、2007)

南北戦争時代のアメリカ留学を果たした外山正一は、東大教授で、西南の役の5年後に「抜刀隊」を発表した、という。
彼はのちに東大総長。彼は家康が将軍になる前から仕えていた旗本の名門出身だという。

武士の誇りのために起きたともいえる西南戦争で、武士の象徴である日本刀が大活躍した、という時代であった。

映画の途中で、8月15日に集まった人々が「海ゆかば」の大合唱をするシーンもおさめられてはいても、常に日本刀と靖国と、サムライ、それに護国精神を外部の目線を通して描きたかったのではないかと、思う。

田原聡一郎氏は、決して反日映画ではない、と何度も書いているが、普段の我々の意識が、知らず知らずに反日精神に漬かっているので、保守主義系の人々が書いた靖国関連を読むと、やはり反日映画かな、そうでないにしても、反日イメージを増幅しかねない舞台装置としての映画なのかもしれない、と思う。

0 件のコメント: