日曜日, 12月 09, 2007

線形代数にそれ本来の座が与えられる   ブルバキ(数学史)

ニコラ・ブルバキ『ブルバキ数学史 上』村田全・清水達雄訳、ちくま学術文庫、2006、153p。

夜勤疲れの頭のウオーミングアップに何気なく手にとった出版案内冊子の巻頭にあった。最近、行列やベクトルがまた気になりだして、あれこれ読み返していたこともあり、思わず引き込まれた。

大学教養課程での授業では、微積分と並んで線形代数は理系の数学の必修科目だという。今でも、昔受けた数学の授業で印象に残っているのは、偏微分と行列計算の大変なことがすぐ思い出される。あの頃は、教授が書いた教科書だったのでは、と思うが今となってははっきりしない。

ところで、微積分のほうは、テイラー展開、偏微分、重責分といかにも大学の数学という内容に満ちているのに、線形代数は、講義の中味が、どうしても連立一次方程式を解くことが中心になりがちで、中学生にも馴染みがあったりして、いちおう大学なので、高次元の空間のベクトルを扱ったりするが、多次元空間と言ってもSFのような奇抜な話しがあるわけではないらしく具体的な技法が中心になりやすいのだろう。

梶原教授も書かれているが、『不思議なことに我が国の大学院入試問題は、佐竹一郎(行列と行列式、裳華房)にルーツを持つようである。出題者がこの本で勉強したのであろうか。・・・』だといい、この冊子を書かれた斉藤毅先生も、佐竹氏の前述の本と、藤原正彦氏の「線型代数入門」(どちらも、日本数学界の出版文化章に輝いた、とある)とがすでに名著としてあるのに、なぜまた線形代数の教科書を書いたか、その理由を書かれていて、なんども挫折しているものとして、つい興味深く読ませていただいた。

たとえば、以下の記述。『1年生にとっての線形代数の舞台は、座標の定められた高次元の空間という、ひとつしかないものである。2年生にとっては、いくつかの公理が満たされるなら、どんなものでも線形代数の対象となる。関数の空間でも、数列の空間でもよい。もっと抽象的に構成される空間でもよいし、構成法すら知らない空間であってもよいのである。それに応じて、連立一次方程式を解く技術ではなく、抽象的な数学の考え方を線形代数を通じて学ぶことがだいじな内容になってくる。』

梶原教授(米国数学会名誉会員)も、「新修線形代数」(現代数学社刊)中で、たとえば

『空間のベクトルは幾何学的横顔と代数的素顔を持ち、両者は全く異質に思われ、同一視することに抵抗を感じる読者が多いと思う。そして、実はこれに敏感に反応する読者ほど、数学的感度がが高い。』などと書かれている。

『かく申す私も、大学の教養の「代数および幾何学」で有向線分が、実数がみっつ並んだ数ベクトルに等しいことを先生は力説されるが、合点がいかなんだ。・・・有向線分の同値類であるところの有向線分の一つの集合がベクトルである。このベクトルを代表する有向線分のとり方に依らぬ性質こそ、その大きさと向きであり、これがベクトル固有の量である。・・・一方、空間に基底をなすベクトルを定めておくと任意のベクトルは基底の一次結合で表され、数字がみっつならんだ数ベクトルが対応する。ベクトルに対して数ベクトルが一対一に対応し、ベクトルの演算には数ベクトルの代数的演算が対応する。このように二つの幾何学的対象の間に、一対一の対応があり、演算が保存されるとき、両者は同じであると考える。これが現代数学のエスプリである。』

斉藤毅先生も御自身の体験から「一年生の線形代数は、高次元の空間を見るのが初めてだから、高次元空間のベクトルや行列をいろいろ具体的に扱ってみてそれに慣れる、というのが主な内容となる。抽象的な線形空間も扱うことになっているが、そのあたりはどうしても学生の理解度が低くなる」という。勇気が出て読み進む。

「その辺にこだわり過ぎると、学生アンケートの評価も低くなる。ところが、線形代数がほんとうに面白くなってきてそのありがたみが分かってくるのは、抽象的な線形空間を扱うようになってからなのだ。」

「数学の歴史の中で、根本的な視点の転換が度々起きている。古くは空間というものはひとつしかないもので、その中にあるものが数学の対象と考えられてきた。それがいろいろな空間を仮定して、個々の空間そのものを数学の対象の対象と考えるようになったことは、抽象化へ向けての大きな転換点であった。今でも数学を勉強して行くと、この転換点を必ず通ることになる。」

距離空間、ベクトル空間、ヒルベルト空間、プレヒルベルト空間、バナッハ空間、・・・梶原教授は位相空間の具体的なおもしろい説明を試みられている。(新修解析学、現代数学社刊)。各空間が、数学者の仕事場なのだ、という話しもどこかで聞いた。

こんど、斉藤先生のかかれた「線形代数」の本は大学2.3年生の必修科目になっている現代数学の基礎的な部分について標準的な教科書をそろえようという企画の、シリーズ「大学数学の入門」中の一冊らしい。

抽象的な話しに重点を置いた線形代数の教科書があればいいのにと思っていたというから、書店で見かけたら是非てにとってみたい。

以上は、数学教師を目指すような方向でのはなしで、工学部や他学部で、具体的な問題に線形代数を使おうという立場での話しも参考になろう。

たとえば、代表例として『工学と固有値』(線形代数ア・ラカルト、日本評論社、1981年12月号の記事から)で、甘利先生は前口上で、

『線形代数と言えば、理工系の基礎数学の華、そのまた中心が固有値というわけで、理工系の学生は固有値・固有ベクトルを避けて通るわけにはいかない。ところが固有値の意味が意外によくわからないという。これもまたもっともな話しである。固有値のしくみがすべてわかれば、線形代数がほとんど分かった、と言っていいのだし、線形代数はやさしいようでいてよく考えると存外難しいものだからである。』と。

そして、教師の教え方にも問題があり、工学部に進学してもとりあえず困らないように固有値、固有ベクトルの計算法でも教えておこう、と悟られて教えられたりしたら、イメージの湧きようがないだろう、という意味のことを述べておられる。

また、『線形代数こそは現代数学流の論理構成のひな型である』と張りきってしまい、公理からスタートして直感を排して厳密な論証に基づく統一的な理論構成云々タイプでも困る、という。話しのために、先生自身は豊かなイメージを持っておられるのに、意地悪くも(講義からの脱線が心配!?)それを隠してしまう、という。

「厳密な論証の糸にがんじがらめになりながらも、自分流のイメージを構成することに成功した学生だけが、論証をも真に理解できるという仕掛けになっている」とおっしゃる。

そして、イメージで理解する線形代数をやってみようと思う、で本論がスタート、終わりでは、思うようにイメージが鮮明かどうかも心もとない、と断りつつも、『行列だ、固有値だと言っても、線形変換の行列と二次形式の行列とではその性質がまったく違うこと、(基底を変換すると、一方はP^-1APでかわり、他方はP^tAPで変わる)したがって両者に対してまったく別々のイメージを抱かねばならない、ということである。』とされている。

もっとも、自己随伴変換の行列でなどを通じて両者が結びつくから話しはややこしくなる、とも。


なかのひと

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