金曜日, 11月 23, 2007

『大阪地裁における第三回証人尋問で大江健三郎氏は、被告代理人による『沖縄ノート』のテーマについての問いかけに「日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた」と答えている。「普遍的な人間」この言葉は『沖縄ノート』に相応しいのであろうか。』

2007年11月22日の正論談話室への投稿で、菱海孫氏が問いかけている。

http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/kiji_display.cgi?thread_id=200711-001&kiji_id=00074

もともと、自民、民主による「大連立の是非」についての投稿がいろいろならんでいるのであるが、こういう意見が出てきた背景には、民主党は左翼の巻き返し、などという意見がさかんに投稿され出したことと無関係ではないような気がする。

・・・『沖縄ノート』で大江氏はハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン』を引用している。そこでイスラエルがアイヒマンを拉致して法廷に引き出したのに比較して、沖縄の人々が「旧守備隊長」の拉致をなし得なかったこと、その上でエルサレム法廷におけるアイヒマンに対比して架空の沖縄法廷における「旧守備隊長」を想像して「旧守備隊長」がアイヒマンよろしく「青年の心から罪責の重みを取り除くのに応分の責務を果たしたかった」と、異様に倒錯した使命感のうちに語るであろう、そのような光景を我々は「へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力の苦い自由をもつ」と述べている・・・

と続き、最後に

『私はアーレントに賛成するため「日本人/沖縄人」という共同性に固執している姿勢からは「普遍的な人間」が浮かび上がってくることはなく、したがって「普遍的な人間」という言葉が『沖縄ノート』に相応しいとは思えないのである。そして私はこの点が大江氏の思想の根本的矛盾であろうということを「へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力の苦い自由をもつ」のである。』と大江氏の言い方を踏襲しつつ結んでいる。

出典:『沖縄ノート/大江健三郎著』『イェルサレムのアイヒマン/ハンナ・アーレント著』『敗戦後論/加藤典洋著』沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会HP

とある。

大江氏の作品にはほとんど無縁のものであるが、あるときの座談で、彼がまだ若い頃、防衛大の学生だか、出身者が、血色好く意気軒昂なようでは「戦後」日本はだめだ、というような意見を述べているのを見て、
この作家の原点と言うか、本質をすべて悟ったような気がした記憶がある。

なんだ、よーするに左翼にひとからげされる人種なんだと。いろいろ理屈を述べられても、基本路線がそれでは、お里が知れている。社会主義革命が起きて、ソ連側政権が日本に起きたとき、それがこわくて迎合する発言をしておこう、というのと変わらないと私は思っていた。その頃、私淑していたある東大出の教授は、オレは、進歩的文化人なんて大嫌いなんだと、よく発言されていた。戦中は、インドで陸軍将校を体験された方である。軍を批判しつつも、批判だけしてすむ問題ではないことを、体験談から教えられた。

ノーベル賞が出たとき、アメリカの関与を皮肉った論説が出たときも、この人間にしてこそこういう批判がでるのは当然と思った。故伊丹十三監督の著作から、妹さんが大江夫人だということが控えめに述べられているのを発見し、驚いたことがある。彼の作品については、伊丹氏は一言も触れていないが、触れたくても微妙すぎる立場だと思う。

伊丹監督のエッセイは大好きなのであるが。伊丹監督の著作「女たちよ!」で、スポーツカーの運転方を教えてもらった。・・・

今、ネットで調べると、
『1993年3月、自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、伊丹はさらに日本社会に鋭く切り込む映画を製作していく。襲撃事件により身辺警護を受けた経験は、1997年に『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。1993年『大病人』以後の作品は批評家の評価も厳しいものとなり、また『マルサの女』『マルサの女2』において、主人公(権藤)やソープ嬢を障害者とする設定を行ったことに対して、倫理的観点から厳しい社会的批判を受けた。しかし女シリーズに代表される「社会派コメディ」のジャンルを確立した事は大いなる功績といえよう。伊丹に続く社会派作品はほとんど出現していないというのが今の邦画界の現状である。』・・・

などとある。改めて彼の深い苦悩の一端をかいま見るような気がしている。合掌。


なかのひと

2 件のコメント:

sho さんのコメント...

こんばんは~♪

3連休はいいお天気でしたねぇ~。
大兄はひょっとしてお仕事でしたか?

当方は土曜日に奥多摩を中心にかなり乗りました。休憩も含めて10時間ぐらい出かけてましたので、結構疲れました。やはり年には勝てないってことですかね(^^;

奥多摩周遊道路を初めて通りました。いい感じのワインディングが続く道路でしたが、すっかり暗くなって周りに車も走っていないので、寒くて心細くて、正直言ってあまり楽しめませんでした~。
今度は暖かい日中に、湖の景色も楽しみながら走りたいです。

かなり寒く、ライダーには厳しい季節ですが、また来週のお休みを楽しみにお仕事頑張ります(^^)

nature さんのコメント...

こんばんわ、コメントありがとうございます。

御推測どおり、今月は休みなく仕事です〜、仕事が苦でなくなりました。

夕方、ギリギリに散髪にだけはいきましたが、・・・。仕事があるだけいいじゃないですかと言われ、マウス疲れの肩もみをしてもらいましたが、大半寝ていました。

昨日より、今日のほうが温かで、外でもバイクにたくさん出会いました。私も今日は自宅までミニ・プチ・ツーリング。今週からまた夜勤もはじまります。

若いときは、BMWかなにかで、一晩中山中を走り回りたい、と念願し続けていましたが、最近は、夏でもそんな発想はどこからもでてきませんね^^;)。

風邪など召しませんようにお祈りします。