水曜日, 11月 28, 2007

人の一生と数学ー 大学を出てからも数学は必要であり、それが何時訪れるかはわからない、・・・九大教授のつぶやきから思い起こすあれこれ・・・

子供の頃といっても、小学生高学年、5年か6年の頃、父親から電子計算機なるものが出現し、一生かかかってもできないような類の計算をほとんど瞬時になしおえるような機械だと教えられた。しかも、計算は0と1だけの二進数で行われるなどという、余計に数学から遠ざかりたくなるような話も聞かされたが、そうなるとほとんどうわの空で聞いていたような気がする。

大学に入っても、卓上にでんと置かれたタイプライターより大き目の計算機があったが、われわれ学生はまだ、手回し式の計算機をあてがわれて使った。
卒業の頃、電池式のポケット計算機が数千円から一万弱で売り出され、爆発的にヒットして、答え一発カシオミニなどというCMが流行った。それでも買ったのは二、三年あとで、二千円以下ぐらいの手のひらに納まるようなせいぜいルート計算が出来る程度のものを仕方なく買った記憶がある。

仕事の都合で、統計や最小二乗法の基礎を少しわずかの数値でしかなかったが、手計算では埒があかないので、入手した。しかし、入力が間違うと再度最初からやり直しで、あまり好きになれなかった。そのうち、横河電気だか製作所から、プログラム電卓がでたが、数万円はしていたようだが、まだ実感がわかなかった。

それからまもなくマイコンブームが起きて、初期のものが回りにも少しづつ導入されだしたが、まだ距離感がありとっつきにくかった。

5年以上下の後輩のほうが、教養課程でコンピュータ教育を受けてきているせいか、抵抗無く
接しているようだったが、使いこなしてはいないようだった。しかし、仲間のひとりが百万近くするパソコンを買って、フォートランを入れて何やらシュミレーションするなどという話が出てくると、そういう時代なんだな、と改めて思い、勉強する気になってきた。

まだ、近くの喫茶店などでは、インベーダーゲームが流行っていた頃である。ディスプレーもカラーはあったが、多くはモノクロで、黒い画面に緑色で文字が表示されるものが多かった。

マイコン雑誌もいろいろ出るようになり、折に触れて買ってはみたが、機械語のオンパレードで、とても親しめる類ではなかった。

それでも、各社各様のマイコンを見ていると、いろいろと特徴があるらしいことはわかった。
東芝のパソピア、シャープのMZシリーズ、NECのPC8000とかPC8800シリーズ、富士通のFM7、ニュー7などなど。ワープロも、専用機が登場し、ほぼ同時にパソコン版も。マイコンからパソコンへと呼び名も変わって行く。そして、8ビット機から16ビット機へというトレンド。

そして、BASICというプログラム言語も、MSDOSベースで動作するようになり、プログラムの移植性が向上。フロッピーディスクの容量も320キロ、640キロ、1280キロバイトと増加していくが、世界標準の1.44MBとは違う基準で、外国産とは、互換性が無かった。初めて買ったPC8800の三代めシリーズで、豊富に出回っていたプログラムをあれこれ参考にして、最小二乗法のプログラムを作っては、打ち込んで使い勝手を試す日々。

ところで、京都の現代数学社から、当時「BASIC数学」という月刊誌が刊行されていて、BASICプログラムで、乱数を発生させ、πの近似値を求めるプログラムなども紹介されたりして、数学的問題への展望も期待されていた。それで、ときどきこの雑誌を読んでいると、数学史や統計に関する実用問題の解説やら、九大の梶原教授による、大学院や公務員試験に見る数学入試問題への解説、単に解くだけでなく、人生論も踏まえての、数学的な対応レベルで解法が堂変わるかなどの解説が面白く、毎号読むようになった。

しかも、梶原教授は、なんと岡潔博士のお弟子筋ということで、岡博士の研究の紹介や、いろいろなエピソードの紹介もあって、梶原教授の著作も、単行本として何種類かあるものを皆購入して、数学にうとく弱かった時代から、な~んだ、そうなのかと比較的数学につよいというか、数学好きな面がだんだん目覚めてきた。

しかも、どちらかというと左翼の先生でありながら、突然毎号掲載されていた記事を、ある時期から、すべてアップル社の32ビットパソコン、マッキントッシュ上で、アメリカの数学ソフト、というより、数式処理ソフト、Mathematicaを用いての解説に切り替わり、米帝反対の路線から決別されたことは、十分にそれまでの先生を知る周囲の人々を驚かせたらしい。

私も、プログラムで苦しんだ経験から、数式処理ソフトのすごさ、すばらしさに、すっかり参ってしまった。とくに、微分、積分、偏微分はいうにおよばず、厄介な行列計算が、数値はもちろん、文字で行列の各要素を入れても、処理してくれてまるで夢のような時代が、強力な師匠とともに現れてきた、と心から思った。

マッキントッシュと入力して漢字変換すると、魔金取手と変換されるなどという話をどこかで読んでまさにその通りだと思ったが、それでも数式処理ソフトを使いたさに、三年ローンを組んで、マック貧乏となったが、毎日が幸せだった。バブル期だったこともあって、他のソフト類や、周辺機器も次第にそろえて行けた。

当時は、Mathematicaが使えるパソコンはマックだけで、私が苦労してMathematicaを買って半年から一年ほどして、ようやくIBM系パソコン版も出てくるようになって、次第に広まっていったが、Theoristという数式処理ソフトもあり、このソフトだけは、IBM系への移植はなされず、
マック版だけであり、今でも貴重なソフトだと思っている。このソフト、今では数式入力ソフトとして、生き残っているようである。TheoristもMathematicaもふくめて、古い漢字トークから、MacOS8.1までの動作ソフトはウィンドウズ上で、BASILISKIIというエミュレータを使えば、まるまる動作するので、重宝している。ただし、このエミュレータ、マックOSの一部を書き込んだ起動用のROMを持っていないと動作しない。かって、マックを購入したものでないと、ライセンス上使用できないことになっているが、アメリカでは一時ネットで流通していたし、今でも探せばあるかもしれない。




なかのひと

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