土曜日, 9月 22, 2007

空白の34年ー第IV期

52年五月以降、東京消防庁の出初式と皇太子の立太子礼、成年をいわう「奉祝都民都民大会」を除いて、当面儀礼や集会は開かれなくなった。

皇居前広場をメーデーに使用させるべきとした東京地裁判決は、東京高裁により、原判決を実効性なきとして取り消した。だが、国民公園管理規制にもとづいて厚生大臣が許可すれば、つまり政治的および宗教的と見做されない限り、禁止はされてはいなかったものの、広場はそのようには使われなかった、と指摘している。


その理由として、憲法をもたらしてくれた占領軍に対する義理が無くなったから、と指摘する人物も現れた、という。あるは、「左翼」がどんな暴力を振るうかわからない、という「先入観」が支配的になったことも一因としてあげられるとも。

昭和初期に確立され、占領期にも年に一度は現れたはずの「聖なる空間」はの面影はもはやどこにもなかった。占領期から受け継がれたのは、「愛の空間」としての役割だけだった。

朝日新聞54年7月8日の夕刊には、「いっそ都がアベック占用の公園をつくって、入場料をとれば、皇居前なども荒らされず、アベックも気兼ねなくて良かろう」という女性実業家の意見が掲載されている、という。

50年代なかば、箱根の芦ノ湖畔にあった箱根離宮あとの公園で、白昼堂々と性行為にふける男女を目撃した政治学者丸山眞男は、連れの人に向かって、「ここも人民広場になったね」と言ったそうだ。かっての人民とはまったく異なる意味で、人民広場が隠語として生き続けていた、という。

皇太子結婚

もっとも皇族の結婚式が行われた日だけは、皇居前広場は人並みで埋まったという。昭和天皇の三女、順宮
(よりのみや)厚子内親王と池田隆政が結婚した日には広場に3万4千の人があつまり、万歳を叫んだ、という。

皇太子と皇太子妃美智子さんがはじめて国民の前に姿を現した日、11万の人々が皇居前広場にあつまった、と言う。このあたりから、私にも瞼に残像が浮かぶ時代となっていく。

しかし、島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」が大ヒットしたこともあり、連日1万人を超える観光客が押し寄せていた、という。

東京だよ、おっかさんーー作詞・野村俊夫、作曲・船村徹(「靖国神社の歌」中から引用)

久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさよ
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を とりましょね

やさしかった 兄さんが
田舎の話しを 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが 九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも

さあさ着いた 着きました
達者で長生き するように
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん
ここが ここが浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね

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深沢七郎と「風流夢譚」

作家の深沢七郎は、雑誌「中央公論」60年12月号に、小説「風流夢譚」を掲載した、という。

私は、これを読んで、戦後左翼の暴力性を感じ取り、かなり驚いた。そういえば、私は、ここで妻となる女性とデートというか散策した懐かしい場所でもあるのだが。結婚前の妻は、皇居前の新聞社に勤務していた関係で、・・・。

主人公の「私」は、ある晩都心で革命が起こった夢を見る。そして群衆とともにバスに乗り、皇室一家が処刑される現場を見に行くわけだが、その現場は何と皇居前広場なのである。

深沢は、夢の中という設定で、結婚したばかりの皇太子と皇太子妃とが処刑される場面をこう描いた。

『皇居前広場は、人の波で埋まっているのだが、私のバスはその中をスーと進んで行って誰も轢きもしないで人の中の真ん中で出たのであった。そこには、おでん屋や綿菓子屋や、お面屋の店が出ていて風車屋がバァーバァーと竹の管を吹いて風船を鳴らしている、その横で、皇太子殿下と皇太子妃殿下が寝かされていて、いま殺られるところなのである。(中略)そうして、マサカリはさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がしてずーっと向こうまで転がって行った』

この後に、「私」は、「背広姿の老紳士」の案内で天皇と皇后が殺された広場の一角に案内され、「そこでは交通整理のおまわりさんが立っていて天皇、皇后の首なし胴体のまわりを順に眺めながら、人ごみは秩序良く一方通行で動いているのだった」。広場ではさらに演芸会が始まるかと思うと、小太鼓や大ラッパ、トランペットを抱えた「軍隊の行進」があり、夕方には花火が頭上に舞った。

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ここには、占領期の皇居前広場のさまざまな記憶が踏まえられている。天皇制打倒を唱えた46年のメーデーや集会、お祭り色が加わった47年以降のメーデー、憲法関係の儀礼に現れた天皇と皇后、そして占領軍という「軍隊の行進」。そこに東京見物の観光バスや前年4月の皇太子と皇太子妃のパレードが加わった。独立から8年あまりを経て、それらが「一つの」フィクションとして結実したのである、と述べている。

だが(当然ながら)宮内庁は、この小説が実在の人物を登場させたばかりか、描写が露骨にすぎ、皇室の名誉や人権を侵害するのではないかと、法務省に検討を要請した、という。大日本愛国党など右翼の中央公論社に対する攻撃も盛んになった。翌年2月1日には同社社長宅が襲撃された、という。2月6日の新聞各紙には、社長名で、「掲載に不適切な作品であったにもかかわらず、・・・・」社告、お詫びが掲載されたと言う。現在では、考えられないことだが、一部左翼の夢は、いまだどこかに燻っていて、皇室をなきものにせんとする策動があるかに思える。

女系天皇推進運動なども、そうした一環で捉えると、いずれ皇室制度崩壊へ誘う伏線だと指摘する人々もかなりおり、それを推進しようとした小泉元首相、阻止しようとした安倍元首相と方向性の違いが際立つ。





Map

2 件のコメント:

sho さんのコメント...

こんばんは~♪

今日は初めて秩父の山にチャレンジしましたが、あいにくの雨のために途中で引き返すことになってしまいました(^^;
平野の方はまだ曇りですが、山の方は結構な本降りで、あっという間にGパンもびしょ濡れになってしまいました。

まぁ、また機会はあるでしょうから、楽しみにとっておきたいと思います。

明日は雨ですかねぇ~?
気になるところです。

nature さんのコメント...

コメントありがとうございます。

自転車通勤のおかげで、私も雨天走行は今後
たぶんsho様同様、ほとんどしなくなるのではと思っていますが、は・た・し・て!?

三段変速の、フルチェーンカバーのママチャリタイプですが、27インチで、足がやっとつくようにしないと疲れますよと、といわれ任せました。雨にも強いのですが、カッパを着ての梅雨時は地獄でしょうね!

今日の電車内は、座席で睡魔に襲われ気持ちよくうたた寝、どこか疲れが残るのでしょう。タダのガソリン代がうれしいですけどね。