火曜日, 7月 24, 2007

日本国憲法の問題点 第四章

前回に引き続き、小室博士の憲法談義を、・・・。

「憲法を殺すのは官僚の大罪」となっており、戦後教育の弊害により、点数かせぎだけの学校教育秀才が
官僚となる現行科挙制度のもとでは、だれかが、学歴偏重と、階層原理を覆す原理を見いださない限り、日本の復活はありえない、という。中味は大半が、官僚の弊害ばかり。

外国の大学は、みな私立からスタートしているのがふつうなのに、東京大学だけは、官僚養成学校としてスタートしてしまったので、日本の大学は学問をけんさんするところではなくて、ただの通過点となってしまった、とある。・・・日本は平等社会のようでありながら。学歴による中世的な身分制度が復活したのである、と。

アメリカもそこまでわかって戦後教育を押し付けたのかどうか、その辺の言及はされていない。ただ試験秀才の官僚以外に、政治的に指名された高級官僚がいて、科挙の制の弊害をうまくコントロールしているという指摘はある。

田中角栄を最後に、官僚の暴走を抑え、自らの思いのままに官僚を操れる政治家は滅び去ってしまった、で官僚の弊害のオンパレードの第四章はおわる。

第五章 「日本人がしらない戦争と平和の常識」

戦時国際法のイロハさえ教えられていない日本国民は、まるで虎狼の中に放り出された子ネコのようなもの、いつ食い殺されても不思議はない。これが、戦後半世紀にわたって、「護持」され続けた「平和憲法」のもたらした現実なのである、が結びにある。

しかし、今日の戦争がはたして(50年前に想定された)将来もそのままでありつづけるか誰にもわからない。アメリカでおきた同時多発テロでによって、「戦争」の定義が一瞬にして変わった。それと同じことが今後も起きない保証はないのである、と。そのためには、まず憲法と国際法、とくに戦時国際法が重要であると説く。

東大は、戦後もう戦争はおきないからと、戦時国際法の講座を止めてしまったが、京都大学は、将来を見越して残したので、いまでも若干の研究者はいるが、戦後憲法が幅を利かしているのでメジャーではないのだろう。国家間の紛争が起きたとき、それぞれの国家がどう動くか、しばりをかけるのが国際法、とくに戦時国際法だろうが、日本の常識は、国際問題では、あまりにも非常識。とくにゲリラによるテロを前哨戦として何かが起きたとき、どうしたら国民の安全や国家の安全を確保するかがまったく無視され、現行憲法にさえ規定されている条項を国は無視し続けている、という。これも官僚の大罪の一つだろう。あるいは、日本人によくみられる言霊思想なのかもしれないが、大学の基本が、役人養成であってみれば、外国のようにいかない見本かもしれない。

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