金曜日, 6月 08, 2007

学生時代に、昨年亡くなられた作曲家、高木東六氏の書かれた「東六ラプソディー」という本を寮の友人の書棚から借りて読んだ経験があり、まだ御存命中にネットで探したら、同名の著作はなかったが、「高木東六 愛の夜想曲」というのがあり、購入した。半分以上は昔の内容に依存しているように思えた。

CDで海ゆかばの特集が、戦後60年の年にでていたらしく、後になって知り、しかもかなり売れているというので買ってみた。あの戦争中の海ゆかばを作曲したのは、信時(のぶとき)潔さんだと初めて知った。海ゆかばは、大伴家持の時代から、朝廷警護の武士団の間で謳われていたと知り、改めて驚いたのだが、明治時代にも東儀氏が作曲していて、式典曲としてあったというが、曲想はかなり穏やかでのんびりした感じがしないでもない。それを50歳前後の年になって、信時氏が、作曲した海ゆかばは、よくぞここまで磨き上げたものだと、他の何者もこれ以上の曲はつくれないだろうという程のレベルのように感じる。


子供の頃は、ラジオ(楽耳音)でも、戦前の曲なども結構流されていて、戦後と戦前とは何か、背後の「空気」というか背景の違いがあると漠然と感じていたが、何事にも時代精神というものがあるのかもしれない。

ネットで軍歌を検索したら、以下のサイトが気にいり解説を読み、曲を聴いた。

http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/

ここには、最後に信時氏が晩年に作曲した鎮魂頌というのがあり、初めて聞き感動した。作詞は、折口信夫氏で、高校の頃からこの歌人の作品は好きだったのである。昭和23年作詞、昭和34年作曲で、折口氏は昭和28年にお亡くなりになったので、生前にこの曲を聴くことはなかった。

このサイトの昭和の軍歌の中に、高木東六氏が作曲された「空の神兵」も、歌詞つきで載っており、改めてこれも曲として好きだし、良い曲だと思ってしまう。しかも信時氏も、高木氏もどちらもキリスト教の僧職の家の影響を受けているという共通性があるという。私は賛美歌にも好きな曲が多いのだが、日本にも千年以上も前にキリスト教は伝わっていたらしい。




おばあちゃんに聞くと、高木氏は日本音楽は大嫌いだった人よ、で片づけられたがどうなのだろうか。

空の神兵の解説には以下のように出ている。

『昭和17年1月11日に海軍の落下傘部隊が蘭領印度(現在のインドネシア)のセレベス(現在のスラウェシ) 島メナドに、続いて2月14日に陸軍の落下傘部隊がスマトラ島のパレンバンに降下しました。この歌はその時の模様を歌ったもので、 青空に純白の落下傘が次々に開いてゆく様子が絵のように歌はれています。普通軍歌は勇ましいか、暗いかのどちらかが多いのですが、 この曲は珍しく明るく美しい軍歌になっています。


高木東六さんは雑誌「諸君」の平成13年9月号で作家・演出家の久世光彦さんと 対談し、次のように語っています。「二,三年前自衛隊に招かれて習志野の第一空挺団の演習を見に行ったんですよ。 この日は新米の隊員がはじめて実際に飛行機から降下訓練をする日だったそうです。ちょうど僕らの真上に輸送機がきた時、 そこから新兵さんがどんどん降下してくる。落下傘がパッと開くのにあわせて、地上に控えていた楽隊が空の神兵の演奏をはじめたん ですよ。驚きましたねえ。感動しました。まわりにいる自衛隊の人たちもみんなで歌いだして。この歌は部隊のテーマ曲みたいに なっていて、ことあるごとに演奏しているそうですよ。ただいまの落下傘というのは白くないんですね。なんだか緑色みたいで はっきりしないですから真白き薔薇のというわけにはいかなかった。」

更に、「(軍歌はいやいやながら作っていたという話をした後で) ただ空の神兵は、レコード会社の人が梅木三郎さんの歌詞を持ってきて、それを読んだ瞬間僕の頭にさわやかなイメージが広がったんです。 簡明、直裁、且つ美しいイメージはこれまでの軍歌にはなかったものです。これなら作れると瞬間的に思いました。 ・・・中略・・・あの曲は僕の曲作り、曲想そのもので書く事ができたから、確か十五分くらいで出来上がったと思います。」

この対談の時高木東六さんはおん年九七歳でした。現在日本の唯一の落下傘部隊である陸上自衛隊第一空挺団(千葉県習志野) が年の初めに初降下訓練をする時はこの曲(メロディーのみ)が流されます。



ここに載せたのは岩城拓也・橘かおるという無名の歌手によるものです。この二人の声はこの歌のもつ明るい爽やかなイメージに ぴったりで、たくさんあるこの歌のレコード、CDの中の最高傑作と思います。特に橘かおるという婦人歌手の爽やかでどこか温かみ のある歌声は絶品です。』

橘かおるさんについては、ネットで調べたが、消息不明だった。残念である。昭和17年は、大東亜戦争に勝ってしまうかもしれない、とも思われた連戦連勝の時代で、こういう時期には、軍歌ぎらいの東六氏も
やはり日本国民として、「真面目」に作曲して(作曲させられて)しまったのだという。この曲はわずか15分でできてしまったという。まさに、文字通り、神がかり的であったわけだ。

ーーーー続く

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