日曜日, 6月 24, 2007

『アメリカの新国歌戦略が日本を襲う』

この本で、日高元特派員は、長年米国にいる立場で、アメリカの識者たちからみた日本、および小泉元首相の後をついだ安倍首相とそのまわりの比較的若いスタッフたちを、どのように見ているかがが随所に顔をだす。

安倍首相をかなり批判しているともとれる。もちろん、励ましともとることは可能だが、望まれる政治改革の提言をみると、絶望的にも思えるほどだ。

「すでに述べたようにあらゆる点で、一流国である日本が尊敬されないのは、あまりにも遅れた政治の仕組みのせいである。アメリカをはじめ世界の民主主義国家では、政治家というのは国内のことだけではなく、世界のことを考えるべきだと思われている。」

「ところが日本は長い間日米安保条約に守られてきたために、世界の安全に責任を持つという考えが消えてしまった。」




「世界の安全に責任を持たなくなってしまった結果、日本の政治家の多くは権力と保身、そして金儲けのみを考える物質主義の人々になってしまった。昔は井戸塀政治家という言葉があった。自分の政治理念を実現するために自身の金を使い果たし、残ったのは井戸と塀だけになった政治家が大勢いたのである。」

この後に、富士山を望む別荘地に、資産家出身でない首相経験者親子の豪邸がたっていることなどをあげている。
汚職が横行する政治風土だと。

『六カ国協議で拉致問題に同情が集まらないのもこの政治のせいである。』と書いている。

「六カ国協議でも、拉致問題にとらわれすぎて他の国々から疎外されてしまったのは、日本の指導者が安全保障や外交の問題をすべてアメリカの任せてきた結果、世界を自分のものとして考えるワールドレベルの政治家が日本にいないためである。」

「・・・歴史的に見れば第二次世界大戦後、国際的に重要な問題が二つある。一つは広島・長崎の悲劇をくりかえさないこと、もう一つはユダヤ人の抹殺を図ったヒトラーのホロコーストを二度と起こさないことである。」


「世界の指導者はこのふたつのタブーを大切な指標として行動してきているため、北朝鮮の核とキム・ジョンイルの存在が国際社会で最も危険だと見るのである。」

「だが、世界観と歴史感を持たない日本の指導者は、拉致問題以外はこれまで通りアメリカに任せておけばよいと考えている。自分たちは国内政治の立場から拉致問題のことだけを考えればよいと思っている。このため、日本は六カ国協議の中で孤立し、ワシントンからも見放されてしまったのである。」

「日米安保条約の枠がなくなろうとしているいま、日本が必要としているのは、これまでアメリカに頼ってきたもの、つまり日本の国際的な立場や利益を守る役目をいかにして自分たちの手に取り戻すかを考え、実施できる指導者である。」と。

「自らの利益を自らで守るためには犠牲を払わなければならない。
国家もまたおなじである。国家が国家利益を守るためには強くなる必要があれば、国民は犠牲を払わなければならない。指導者はその犠牲を国民にもとめなければならない。」

「安倍首相が強く美しい国家の建設をめざすならば、まず汚職政治家をすべて追放することである。少なくとも公の仕事で金銭をかせいだり、私利私欲をむさぼる政治家を追放しないことには国民に犠牲を要求できない。」

「今のままでは、日本は100年河清を待っても何もかわらない。」

そのために必要な提言を三つ提案して、本書を締しめくくっている。

与野党をとわず、先生方には全員読んでいただきたい本と思う。

幕末に日本に来たヨーロッパ人は、地球上のささいなことでもまわりまわって結局は自身に及ぶということを日本人は理解できない、と見たらしい。風がふけば桶屋がもうかる、という諺があってもだ。




小室直樹氏も、歴史に学ばない日本人ということを良く言う。すなわち、歴史観も育たないということになる。東洋的な、それは役に立つか!?という視点でしかものをみようとしない。

一例として、小室氏があげた例は以下のようであった。ある大学教授が、再就職を求めて面接を受けた。大学では、戦史を教えていました、というと、それがいったい、何の役にたつんだ!?、と言われて門前払いされたという。

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